8e596497.JPG高校生の頃、音楽の先生と口論したことがある。先生曰く「音楽は学問だから軽く考えてもらってはこまる」というようなことをおしゃったと思う。男子高で、まじめな歌を歌ったりすることが、みんな面白くない年代である。自分自身はこの頃でも音楽はとても好きだったが、これは一般的な話しである。

そう言う先生に「音楽は感性ですよ」と生意気なことを言ったら、先生が怒ってしまって「楽典もわからず何が感性か」というようなことで!(笑)
しかし、その時に自分が言ったことは今でも間違ってはいないと思っている。楽典などわからなくても、作曲はできるし、やはり感性といわざるを得ない。
現在は録音技術の発達した時代である。作った曲を録音しておけば忘れずにすむ。楽譜がなくてもいいわけである。楽譜の目的は、再現性である。何年経っても作った当時そのままにその音が出せるかにかかっている。たくさんいい音楽を聴いて、音の響き、すなわち和声を体で覚えていれば和音という概念を知らなくとも何ら問題はない。楽譜に著せなくてもいいのだ。
こう言う自分は、いま言ったこととはまったく逆で、感性がない。音を耳で記憶し、それをコピーすることができない人間である。音の響きを体で覚えることが苦手なのだ。
もし、楽譜が書けなかったら、自分の曲を何年もの間、その時々のままに記憶しておくことはできなかった。作曲を始めて30年以上経つが、楽譜に記録することができたから30年前の曲も、その当時に作曲したとおりに再現できるのである。楽譜は私にとって、メロディーも和声も、記憶しておくための手段である。
いま持っているDTMはローランドのミュージ郎であるが、その前は何度かソフトを変えている。古いソフトでは和音を記述する機能がなく、メロディーだけ印刷可能というものだった。古いソフトで、だいたい自分のオリジナルをMIDI化したのだが、古いソフトと新しいソフトの互換性がなく、また作り直さなければならいという状態になっている。そこで必要なのが感性、耳で音をコピーするという才能である。自分にはそれがないので、前に作った曲の録音を聴いて楽譜を起こせないので、まったく同じ状態にはなかなかできないのだ。最初から、こんな感じだな、と楽譜に起こしていく作業となり、当然最初からまた作っていくので時間がかかってしょうがない。最近は歳とともに根気もなくなっている。また、以前と同じにできないと面白くないことも重なって、この作業は長く中断したままである。自分の場合は、楽譜に残しておくということが、いかに大事かを思い知っているところだ。
一般的に楽譜はなくてもいいが、それなしに音を再現するには、それなりの才能がないとダメである。かなり前に作ったMIDIを聴いて、そんなことを再認識した今日であった。