
それは小椋 佳32歳、自分は23歳の時だった。感動があった。年甲斐もなく涙が流れた。
初々しくはにかむ彼がいる。彼が発する声のようにそれは自然でナイーブである。
人それぞれに音楽は聴く者の心に物語を創り上げる。
彼の歌のフィーリングに自分の心が振え共鳴する。そして、心に深く深く残響が染み入るのである。心の琴線に触れる歌とは、このような状態を言うのだろうと実感する。
聴こうと思えばいつでも彼の歌は聴くことができる。レコードがあるからだ。しかし、あまりにも歳を重ねた今の自分の心とはかけ離れているようで、大袈裟かもしれないが聴くのが怖いのだ。28年ぶりに見る彼のステージには、当然の如く感動し涙が流れてしまう。感動とは切なさの裏返しである。28年前にはもう戻れない。物理的にも精神的にも戻れないということである。それが寂しさを募る。歳の取り方が下手ということだろうか?
心の琴線に触れる歌がある
その殆どは10代から20代に聴いた青春の歌である
中でも小椋 佳の歌には思い入れがある
30年以上前のことだ
高校3年生の夏
予備校の夏期講習に参加していた頃
その帰りに寄ったスナックで流れていた歌が
心に響いて離れない
ナイーブな今までに出会ったことのない
賛美する言葉がないほど心に染み入る声
歌詞がどうの曲がどうのということではない
そんなことは露ほども意識させず
詩 曲 声が醸し出す楽曲のイメージそのものが
感動と同義語となった
小椋 佳その人を如実に物語る歌である
ママがお客さんと話している
「小椋 佳の歌っていいわねぇ」
手に持っているのは「彷徨」のレコードジャケットだった
青春とは自分探しの旅をすることだと思っている自分として
またひとつ自分に出会えた喜びで一杯だった
カラオケなどない時代
歌声喫茶華やかし頃
「潮騒の詩」「さらば青春」など
鬱に苛まれやるせないときに
心の丈を込めて歌ったものである
小椋 佳の歌はもう何年も聴いていない
聴いていないと言うよりも
怖くて聴けないのである
その理由をはっきりとは説明できない
切なくて虚しくて息苦しくなってしまいそうで不安なのだ
歳とともに心体のバランスが崩れ
心を宿す肉体が弱体化し
顕になる純な心を受け止めることができないでいる
歳の取り方が下手なのだ
じっくりと勇気を出して
気軽に青春の歌を
懐かしみながら聴いてみたい
小椋佳のコンサートを初めてテレビで見たのは、昭和54年か55年の頃だった。1時間か2時間の番組だった。小椋佳がテレビに出たのは、これが最初だったと思う。歌う曲すべて素晴らしく聴きほれた。
昭和56年頃、体調を崩して2週間休み自宅療養した。退屈なので、小椋佳のカセットテープを2個(28曲)買って毎日聴いた。「詩草 小椋佳1971−1981」である。これらの唄を聴いていて、非常に心が癒された。
平成6年、自宅から職場までの車での通勤時間が1時間45分の所に勤務することになった。3年間であった。通勤の行き帰りに毎日、この「詩草」を聴いていた。
小椋佳がテレビに出る番組は、必ずすべて見るようになり、今日に至っている。