2e732467.JPG高校3年生の頃に、どうして特攻隊は国のため天皇のために死ぬことができたのか?「生等はもとより生還を期せず」どうして出陣学徒は国のため天皇のために身を捧げる決意を表明できたのか?本当にそうなのか?
まじめに議論し頭を悩ませたものである。

「すべては諦念である」その時代に生きてしまったことによる諦め以外の何物でもない。
テレビの特別番組を通じて、実際に当時徴兵された学徒本人から生の意見を聞くことができた。
靄の晴れる思いがした。

「聖戦」

10代後半によく考えたものである
どうして国のために
特攻隊は死ぬことができたのだろう
聖戦を謳い天皇の名の基に
死して虜囚の辱めを受けず
無意味な戦争に
どうして玉砕できたのだろう

基本的人権の基に
自分の意思を貫くことのできる今
それらを若者が語る時
死の美学となった

雨煙る神宮外苑
昭和18年10月の学徒出陣に
三八式銃を背負い行進する学徒は
何を思ったのだろう
「生等はもとより生還を期せず」
果たしてそうなのか
何物にも妨げられない自分の意思で
本当にそう思ったのだろうか

家族を守り国を守り民族を守る
この誰しも持っている思いは
生きる時代に関らず
国民の心に純粋に存在するものである

この思いではなく
皇国を守り抜くために
天皇のために
「生等はもとより生還を期せず」
なのだろうか

否である断じて否である
意識するしないに関らず
すべては諦念である
逃れられない
時間と空間の接点に生きてしまった
悲惨な運命に他ならない
皇国のためでもなければ
天皇のためでもない
誰しも無意味な戦争から生還したかったのだ

思いがけなく
学徒当事者の思いを聴くことができた
長年の疑問が見事に吹き飛んだ