2004年10月01日
振り返る歳の数!
違っているのは当然のことながら生きた時代だ。
40数年前には殆どのハイテクはなかった。テレビ、ラジオ、あったのはそんなものである。家庭には電気冷蔵庫も電気洗濯機もない時代だった。
幼き日のありふれた1日。
カランコロン、カランコロンと団子売りが鐘を鳴らし、リヤカーを引いて売りにくる。
カーン、カーン、カーンと拍子木を叩きながら紙芝居が到来を告げる。
長閑そのものである。この優雅さを知らずに育った世代の上限は平均余命のほぼ半分の年齢、40代前半までである。
その年代は、町に自転車でやって来る紙芝居などきっと経験したことはない。
だからどうなのか?
幼き日の長閑な日々は、心の中に優しい憧憬ともいうべきフィールドを築き心の豊かさを齎す。それは芸術の発露を促すのだ。
カーンカーンカーンカーン
乾いた拍子木の音が
町内に響き渡る
5円玉を握り締めて
家々の小さな隙間に陣取った
紙芝居屋の自転車の前に来る
もう先客が何人か来ている
待ち遠しい時間とともに
10人程度のガキどもが集まった
何でできているかは判らない
パリパリとした
手のひらよりも大きな薄い煎餅に
とろろ昆布をサンドして
ソースをふったもの
赤紫蘇色の梅ペーストをサンドしたもの
そして水飴
思い思いの食べ物を
5円でいただく
ウキウキした瞬間
いよいよ紙芝居が始まる
今日は月光仮面
颯爽とバイクに跨った
白頭巾にサングラスの
ヒーローが悪を小気味良く
叩いて行く様を
声高らかに
迫力あるダミ声が導いて行く
思わず引き込まれ身を乗り出す
純な幼さが懐かしい
娯楽の少ない時代に
紙芝居はシアターだった
拍子木の音はもう聞こえない
しかし
思い出の拍子木は
心の中で
いつまでも止むことはない