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2004年09月26日

歌声喫茶 & カラオケ

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カラオケで初めて歌ったのはいつのことだろう。社会人になって1年後くらいだったと思う。昭和52年頃か?当然、今のような通信カラオケではない。テープである。出現してすぐに爆発的に流行り始めた。私の社会人最初の赴任地は北の盛岡で、当時の夜の酒場では、毎日カラオケ大会が行われていた。社会人になりたてであったが、よく歌いに(飲みに)行った。大会に参加し、入選すると必ずボトルが賞品としてついていたからである。あっちの店、こっちの店とボトルを調達し、低予算で飲むことがしばしばだった。18番は「積木の部屋」である。確か1970年の布施明の楽曲である。流行った頃は、まだ私は高校生であったが社会人になってから歌うようになった。布施の曲は好きである。音域が私に合っている。「霧の摩周湖」「恋」「シクラメンのかおり」等々。
当然、カラオケの普及とともに「歌声喫茶」や「ライブハウス」は廃れて行く。「歌声喫茶」には、ひどく通った。

「歌声喫茶」この懐かしい響きの4文字熟語を皆さんはご存知だろうか?カラオケがまだ世にでていない昭和45年から50年頃まで隆盛を極めた、正に歌を歌うための喫茶店(夜は酒も飲めたのでスナックに近いか?)である。生のアコーディオンにリズムボックスが「歌声喫茶」のシンボルで伴奏手段である。そこで歌われる歌は流行歌ではない。ロシア民謡であり、反戦歌であり、地域に密着した歌であり、また永く歌い継がれてきた歌である。フォークソングもレパートリーとなり得た。私が「歌声喫茶」に通い始めたのは、高校3年生の時である。当時、小椋佳の精神世界に深く傾倒していた私の18番は、「潮騒の詩」や「さらば青春」等の小椋佳メドレーであった。勿論「ロシア民謡」や「シャンソン」も歌ったし、「琵琶湖周航の唄」や「知床旅情」もまだ流行る前からよく歌っていた。
仙台の有名な「歌声喫茶」は「若人」と言った。「青葉城恋歌」でみなさんご存知の「さとう宗幸」が歌声のリーダーをしていた。
東京には、新宿に「ともしび」が、京都には、四条に「炎」があった。学生時代にギターを持って「歌声喫茶」巡りをしたことがある。オリジナルソングを歌わせていただいた。もう30年以上前の話である。今もネットから詩をいただいて作曲をするが、この当時の感性をそのまま持ち続けている。化石みたいなもので良いのか悪いのか私には分からない。

kenhappy1 at 02:21│Comments(1)TrackBack(0) 芸術 

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この記事へのコメント

1. Posted by レオ   2004年09月27日 01:40
私はカラオケで始めて歌ったのはテープだかLPだったか不明ですが通信でなかったのは間違いないです。昭和でいうと57年くらい。曲はいとしのエリーだったかしら。カラオケボックスも、出遅れて1992年。渡米が決まってから慌てるように「カラオケボックスくらい経験しておかなければ」と勇んでいって「みた」のおぼえてます。カラオケといえば先生のとろけちゃいそうにすてきな歌声、また、聞きたいなぁ。。。

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