私は1953年、昭和28年生まれです。
花のニッパチなどと持て囃された時代もありましたが、GHQの直接的な支配から抜け出して、たった1年後に生まれた世代です!
日本を弱体化するためのあらゆる分野へのアメリカの、表には決して出さない策略をもろに受けた世代でもあります。
War Guilt Infomation Programは、静かに、深く、確実に、戦後70年以上に亘って、日本弱体化が仕掛けられて来ているのです。

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そして確実にアメリカにとっては成果を上げています。
日本人は知らず知らずのうちに、DNAに刻まれた日本の伝統文化を、薄皮を一枚一枚剥がすように、身からそげ落とされてきているのです!

1985年8月12日は、私は32歳でした。
この頃は、まだ政府に代表される日本の公的機関やマスメディアの地上波は絶対で、決して嘘報道などしない、日本の誇れる行政機関、マスメディアだと真剣に思っていました。

まだインターネットは生まれていない時代です。
ネットが日の目を見るのは1995年のWindows95が出現してからだと断言できます。

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まだ実質はテキスト表示しかできませんでしたが、曲がりなりにも自由な発信ができるようになったのは事実でした。

この1995年、私は42歳ですが、この時を境に、私の日本の公的機関に対する評価は、それまでとはまったく違うものに変化してしまうのです!

1985年8月12日は、日航123便の御巣鷹山墜落事故のあった年です。
当時はマスコミの報道に何の疑義も感じることなく、100%報道を信じて疑いませんでした。

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2024年7月31日の今は、100%日本の公的機関の発信は信じていません。
これだけは断言しておきます。

日本の国体を左右するような安保、防衛、経済に関すること以外のことはマスコミのニュースも何の疑義も生じませんが、日本の国体に関することになると、100%嘘っぱちを並べて憚りません!
アメリカの仕掛けたWar Guilt Infomation Programが見事に結実しているのです。
それを感じる時、身振りするほどの嫌悪感に襲われます!

1985年8月12日の日航123便の悲惨な有様は、報道上は123便のジャンボ機が過去の尻もち事故による圧力隔壁の修理をボーイング社がミスをして、それが原因で圧力隔壁が破断し、急減圧が起こって、機内の空気が一気に圧力隔壁から漏れ、尾翼を吹き飛ばしたというものでした。

20,000フィートを超える上空であるにもかかわらず、酸素マスクなしで機長をはじめとするクルーは、墜落時点まで酸素マスクはせずに対処しています。
これは急減圧はなかった証拠になります。
そういった具体的な証拠や沢山の目撃証言から不可解な事実が沢山浮かび上がって来ています。

その他、横田基地のC130輸送機が早期に墜落地点を把握し、横田基地から救援ヘリまで墜落現場に救助のため来ていたことは知られた事実です。

そして、この米軍横田基地からの救助ヘリを日本政府は断っているのです。
このことも周知の事実です。

滅多なことは言えないにしても、日航123便事故は、日本側の公的機関のミスにより、何らかの飛行物体が日航123便の尾翼に当たり、破壊して油圧をオールロスさせたものなのです。

それでも機長はじめクルーは、横田基地への着陸を試みて、良い着陸態勢までもって行っていますが、何故かこれも取りやめたようです。

これには日本政府の介入があったとしか思えません。
公の発見は翌日になっており、救出活動も翌日の夜明け以降でした。

幾つかの証言として、日航123便を自衛隊のファントム機2機が追尾していたというものがあります。
どうして自衛隊の戦闘機2機が日航123便を追尾していたのか?

日航123便の墜落現場は、ゲル燃料、いわゆるナパームのベンゼン・硫黄・タールの臭いがしていたといいます。
そして搭乗者は、炭化するほど激しく燃やされていたとも言います。
これは何を意味するのか?

墜落時のあまり間のない時に、若者3人が墜落現場にとにかく早く乗り込もうと、オフロードバイクで燃える炎を頼りに走りに走って、ついに2人がたどり着くことができました。
その時に、すでに自衛隊のヘリが到着していて、何かを集めてそれをヘリに積み込む作業をしていと彼らは証言しています。
オフロードバイクの2人は、あっちに負傷者がいるこっちに負傷者がいると救助するように促したようですが、やみくもに入って何かあるといけないので、救助は別の部隊がすぐに来て行うと言っていたとのことです。

いったい自衛隊は何をヘリに積んでいたのか?

おりしも1985年8月12日は自衛隊が相模湾でオレンジエア(弾頭なしのカラミサイル)の射撃訓練をしていたと言います。

機長は自衛隊出身なので、このオレンジエアのことはよく知っていたと思われます。

このオレンジエアが、誤って日航123便の尾翼に当たって破壊したのではないのか?

もし自衛隊が誤射して日航123便の尾翼を破壊し、墜落に追い込むような結果になったなら、自衛隊の存続に関わる大事件になり、日本国の国防の観点からあってはならないこと!
というのが政府の見方であるのは容易に想像が付きます。

そして、考えたくもないのですが、このことが公になるのを阻止するために520人もの命を犠牲にしたと考えても、この2024年の考えとして、在り得ることだと掛値なしに思えるところが何と悍ましいことか!

以上のことはすべて仮説です。

しかし、この日航123便のあり過ぎる様々な疑義を正して、もう一度最初から検証しなおす必要があるのではないか!
これをもし政府が否定するなら、棺桶に片足を突っ込んだような限りなくグレーに近い悍ましさを自ら認めているようなものだと誰もが思うでしょう!

悲劇から今年39年目です。
来年の40年目の節目に、最大のキーマン、中曽根元首相はこの世にいません。
様々な疑惑の真相究明にあたっても罰はあたらないでしょう!

民主主義ではなく、大和魂で疑義を明らかにしてほしい!