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<昭和40年代後半、1970年代の仙台駅>

 「里見さん、元気ないわね〜、どうしたの?」
 健介がバイトをしているレストランで働く20代半ばのウェイトレスが、ただ黙って気を紛らすように皿を洗っている健介に汚れ物を手渡しながら言った。
 「ええ〜、いやなんでもないんです、ちょっと考え事をしていたものですから」
 話しかけてきたウェイトレスの言葉に、我に返って作り笑顔を浮かべながら健介が応じた。
 「差し詰め青春の悩みかな?」
 そのウェイトレスがからかうように言った。
 「まあ〜、そんなところです。」
 説明するのも面倒くさいというように、ちょっと顔を顰めて、ぶっきらぼうに健介が言った。
 健介は、この仕事が終わってから理香のところを訪ねようと思っていた。
 あの日は喧嘩別れで終わってしまったのだ。彼は理香と仲直りがしたかった。
 このバイトは午後の五時から九時までだった。今は八時半を回ったところだ。
 このレストランのピークは七時頃だった。その頃には二列に十六脚並んでいる四人掛けテーブルが殆ど埋まってしまう。家族連れで来て食事をしていくもの、四、五人のグループで酒を飲みにくるものなど様々で、客層は一定していなかった。
 八時半でオーダーは打ち切り、後は九時までに客が帰るのを待って、最後に店の掃除をして仕事は終わりになる。
 男は健介とマスターだけで、他に四人のウェイトレスが働いていた。
 まだ五、六人残っていた客がぽつりぽつりと帰り始めた。
 彼らに向かって健介は大声で叫んだ。
 「ありがとうございました。」
 <さあ、これで今夜の仕事も終わるぞ、後は掃除だけだ。>
 健介は今日、初めての心からの笑顔を見せた。
 街は長すぎる梅雨の重い雨に濡れていた。
 健介はバイトを終えて、ビルが立ち並ぶ都心からはそれほど離れていない理香のアパートへの道を、傘も差さずに歩いていた。
 そのアパートはバイト先から歩いて二十分ほどのところにあった。
 <俺はこの道を何回通ったろうか?>と健介は歩きながら考えた。
 <十回くらいかな?いやそんなはずはないな、いつ来ても心が弾む思いだったのに今日は違う、心の中に鉛が入っているみたいだぜ。>
 理香に会おうとしているにもかかわらず健介の心は重かった。
 <あれはいつだったかな?俺の両親が用事で出かけていたので外食になるかと思ったが、理香のアパートを訪ねて手作りの夕食をご馳走になったことがあった、そのときは夜食まで作ってくれたっけ、それなのに俺は、” 今日は泊まって行くよ ” って、あいつを困らせたっけな。>
 健介は取り止めのない甘い回想に耽り始めた。
 <理香は俺と直ぐにでも暮らしたいんだろうか?恐らく淋しいんだろうな、俺は一ヶ月もすれば直に上京してしまうしな、今までもそうだったし、これからも変わらない、理香が手紙で俺のところに直に来て暮らしたいって言って来たときに、俺は無下に断ってしまったけど、あれで良かったんだろうか?
悪いはずはないさ、もしあのとき一緒に暮らしていれば理香が苦労するのは目に見えているし、だが待てよ、どんな苦労も厭わない覚悟が理香にはあったのかもしれない、やっぱり一緒に暮らしていた方が良かったのか?俺は大学を卒業する二年後に結婚しようと決めていたから、” 今からそんな弱い気持ちでどうする、もっと強くなれ ” なんて偉そうなこと言ったけど、女にとって二年は長すぎるのかもしれない、俺にとってはそれほど気にならない二年だけど、自分を基準に理香のことを考えるのは止そう、そうだ来年は一緒に暮らそう、今年いっぱいは理香と一緒にお金を貯めて、来年暮らす資金にしよう、よし今夜はそのことを話してやろう。> 
 健介は理香のアパートに辿り着いていた。二階にある理香の部屋の窓明かりが見えた。<いるな〜>と健介は心の中で微笑した。時間は午後の九時を過ぎていた。
 健介は階段を駆け足で登り二〇四号室のドアを三度ノックした。
 ドアの後ろで聞きなれた理香の声が響いた。
 「どなたですか?」
 それは、” こんな遅くに誰だろう ” と訝っているような緊張した声の響きだった。

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今夜はここまでにします!