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<昭和40年代、1960年代半ばから1970年代半ば頃の仙台駅>

 時間は午後の五時を回っていた。
 健介は理香のしなやかなウエストのくぼみに手を回しながら、駅から真っすぐに伸びる幅が五十メートルほどもありそうなメインストリートの歩道を歩き始めた。
 一日の仕事を終えて、家路に着くサラリーマンの群れが忙しくビルの谷間を行き来していた。
 街は賑やかだった。
 健介はこの人並みの雑踏が好きだった。それぞれの人はそれぞれの表情を持っている。そしてそれは、どれ一つとして同じものはない。何かに喜び、何かに哀しみ、そして何かに悩みながら、健介と理香が寄り添って歩いているこの道と同じ道を彼らは歩いて行く。誰もが精いっぱい生きているのだ。
 それを自覚させられるとき、健介はいつも生きる活力を得るような気がするのだった。
 今の健介には総てがバラ色だった。彼の前を通り過ぎる人々も、ビルも自動車も、この街の中にすっぽりと包まれている総ての現象が彼を満足させた。
 それは総てが、こうやって理香のウエストを支えて歩くことができる幸福のためだった。
 彼は理香のために書いた行く編かの詩を思い起した。

 「愛」
 貴女(あなた)の瞳が私を映すとき それは清く澄んでいる
 私に限らず総てにおいて同じこと
 それを認めるとき私は幸せ
 私の瞳が貴女を映すとき それは清く澄んでいるはず
 貴女に限らず総てにおいて同じはず
 それを自覚するとき私は幸せ
 永久に貴女を愛せしめよ
 誓うことはできない ただ祈ることのみ
 私の瞳に邪悪の翳が走るとき
 貴女は私をきつく戒め 腕(かいな)に抱き涙するはず
 貴女の瞳に邪悪の翳が走るとき
 私は貴女をきつく戒め 腕(かいな)に抱き涙する
 ただそうあることを相(あい)信じることのみ
 そこに愛が育む 
 永久の愛が

 「悲しむことはない」
 唯後二歳(ただあとふたとせ)忍んでおくれ
 案じることはなにもない
 たとえ離れていても
 僕と君の心は一つだもの
 今日も君は黄昏の街を歩いて行く
 あの可愛い頬を薄紅色に染めて
 そうさ涙なんか見せていないはず
 あの可愛い微笑みを浮かべて
 胸を張って歩いているはずさ
 きっとそうさ
 悲しむことはないんだよ
 君は一人じゃないもの
 君が歩むとき
 僕は君の心の中でともに歩む
 君が走るとき
 僕は君の心の中でともに走る
 君の瞳が濡れるとき
 僕は君の心の中で燃え上がり
 それを乾かす
 君は決して一人じゃない
 僕がいる 僕がいる
 そして僕の心には君がいる
 案じることはなにもない
 唯後二歳忍んでおくれ

 <貴女(あなた)へ>
 春風駘蕩
 晴れ渡った爽やかな五月の空が巷を包み
 道行く人は玉石混交の喜怒哀楽を胸に秘める
 そして私は
 運命(さだめ)の燃える邂逅を神に祈らずにはいられない
 邂逅があるが故に別離(わかれ)がある
 それも運命
 しかし
 その運命とは私にとっては死だ
 この世の別離は有り得ない
 偕老同穴の決意を神に祈ろう
 そんな祈りの哀感が
 今 私を満たしている
 そして貴女は
 新たな歳の一つに
 なんの嫌悪も感じることなく
 二歳後(ふたとせのち)の幸福(しあわせ)を
 確実なものとしていることだろう
 私はそう信じている
 この爽やかな五月の空を
 幾歳後(いくとせのち)までも一生涯
 貴女と私で仰ぎ見られるよう
 ともに偕老同穴の決意を神に祈ろう
 
 健介が大学を卒業する二年後に、二人は結婚を約束していた。
 少なくとも健介の心は不動のものだった。

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今夜はここまでです!