8月に私の義兄(姉の夫)が83歳で黄泉の国へ旅立ちました。
昭和13年生まれです。

人間死ぬときは「あっけない」ということをまざまざと感じました。
私が13歳の頃からお世話になった義兄で、父が早く亡くなったこともあり、義父のようにお慕いしていました。

私が13歳の時に、10歳年上の姉と結婚しています。
その時の結婚式で、私が加山雄三の「お嫁においで」を歌い喝采を浴びました!(爆)

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その加山雄三と義兄は同い歳です。

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義兄を想う時、どうしても加山雄三、若大将のことが頭を過ります。
3年くらい前から不幸の連続でした。
光進丸を原因不明の火災で失い、肉体的には、誤嚥のせき込みから脳梗塞を起こし、言葉を発することに後遺症が出ましたが、不屈のリハビリで歌が歌えるまでに回復しています。

加山雄三、若大将は私にとっては永遠の若大将なのです。
12歳の小学6年生の時に「君といつまでも」がヒットします。
私が初めて買ったレコードは「A面:君といつまでも、B面:夜空の星=330円」でした。

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その後、「A面:夕日は赤く、B面:蒼い星くず」を始めとして沢山の歌がヒットします。

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中学1年生の時に、その年の卒業生の予餞会で、同級生の女性のピアノ伴奏で「夜空を仰いで」を歌い餞としました!
B面になっている「旅人よ」は若大将の曲の中でも安定して人気上位に入る名曲です。

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すべてが良い思い出です。
私も1年限りで、この中学を転校しています!

中学3年生までは加山雄三のヒット曲が続いたと思います。
沢山のヒット曲があります。
A面、B面の概念を変えたのも加山雄三が最初でしょう。
A面、B面に関係なくヒットしたからです。
1枚のレコードが、そういう意味から息の長い人気となったのです。

その後、父、上原謙が関わるホテルが倒産し、億の借金を背負うことになり、しばし暗い時期がありましたが、見事借金を返済し、シンガーソングライター、当時は自作自演の権化と言うべき歌を書き続けます。

原点の映画俳優というよりは、音楽に絵画に芸術が花咲いたオールマイティーなスーパースターなのです。

若大将には本当に長生きして欲しいと切に願っています。
沢山の素晴らしい曲があります。
誰にも真似のできないコード進行で、加山雄三その人あり、を知らしめるに十分な音楽的才能の持ち主です。
加山雄三、若大将、弾厚作、そして池端直亮は永遠に不滅です!