<オリンパス OM2 35mm広角、リバーサル、kenhappy撮影>
1977年、「浩然の気を養う= 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。 物事にとらわれない、おおらかな心持ち=孟子」を謳い文句に某通信関係公社の保養施設として岩手山麓にオープンしたのが、「東日本レクリェーションセンター」でした。
本館と10棟のケビン、キャンプ場からなる12万坪の施設でした。
まだトッテンカンやっているときから関わってオープンに携わり、5年間勤務しました。
何度も地元民に開館についての説明会を開催し、地元民の安定的雇用確保も重要な議題のひとつでした。
85年に公社から民間会社となり、91年のバブル崩壊から突出した福利厚生施設は、何かと外部からの攻撃の的になり、次第に施設そのものがお荷物となって行きます。
開所から20年後、閉館となりました。
私の社会人の原点なので本当に寂しい限りです。
しばらくは廃墟のままでした。
つくづく罪なことだなぁ!と思います。
地元の人々の一部は20年間、この施設で働き、生計を立ててきました。
20代から40代前半まで、この施設だけで務めた訳で、「もう他では勤められないよ」と口説かれましたが、正にそのとおりで、一言もありません。
彼らは、会社を恨み、組合を恨みながら会社を去って行きました。
会社の存在が絶対でないことは理解できますが、開館当時の地元民との約束は反故にされた訳で、釈然としないものが残ります。
もう25年も前に終わったことですが、私の社会人としての出発点なので、たまに思い出してしまいます。
自分自身も会社を去り、しばし彷徨った時期もあり、結果的に、この施設の閉館が、直接関係はありませんが、自分の身にも因果を及ぼしているようにも感じます。
最近(2021)のGoogle earthの映像です。
本館だけが残っていて10棟はあったケビンはなくなっています。
ケビンやキャンプ場を統括していたメインホールはまだ建物はあるようです。
屋根は見えています。
今はペットの里になっていることを知りました。
いくらかでも殺処分されるペットの犬猫を救おうとする試みです。
素晴らしい自然で犬猫がのびのびと暮らし、元気を取り戻して、新しい飼い主のもとに引き取られることを願っています!
このプロジェクトの主催者に敬意を表します!
1977年、「浩然の気を養う= 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。 物事にとらわれない、おおらかな心持ち=孟子」を謳い文句に某通信関係公社の保養施設として岩手山麓にオープンしたのが、「東日本レクリェーションセンター」でした。
本館と10棟のケビン、キャンプ場からなる12万坪の施設でした。
まだトッテンカンやっているときから関わってオープンに携わり、5年間勤務しました。
何度も地元民に開館についての説明会を開催し、地元民の安定的雇用確保も重要な議題のひとつでした。
85年に公社から民間会社となり、91年のバブル崩壊から突出した福利厚生施設は、何かと外部からの攻撃の的になり、次第に施設そのものがお荷物となって行きます。
開所から20年後、閉館となりました。
私の社会人の原点なので本当に寂しい限りです。
しばらくは廃墟のままでした。
つくづく罪なことだなぁ!と思います。
地元の人々の一部は20年間、この施設で働き、生計を立ててきました。
20代から40代前半まで、この施設だけで務めた訳で、「もう他では勤められないよ」と口説かれましたが、正にそのとおりで、一言もありません。
彼らは、会社を恨み、組合を恨みながら会社を去って行きました。
会社の存在が絶対でないことは理解できますが、開館当時の地元民との約束は反故にされた訳で、釈然としないものが残ります。
もう25年も前に終わったことですが、私の社会人としての出発点なので、たまに思い出してしまいます。
自分自身も会社を去り、しばし彷徨った時期もあり、結果的に、この施設の閉館が、直接関係はありませんが、自分の身にも因果を及ぼしているようにも感じます。
最近(2021)のGoogle earthの映像です。
本館だけが残っていて10棟はあったケビンはなくなっています。
ケビンやキャンプ場を統括していたメインホールはまだ建物はあるようです。
屋根は見えています。
今はペットの里になっていることを知りました。
いくらかでも殺処分されるペットの犬猫を救おうとする試みです。
素晴らしい自然で犬猫がのびのびと暮らし、元気を取り戻して、新しい飼い主のもとに引き取られることを願っています!
このプロジェクトの主催者に敬意を表します!
レクセンター・・・あまりに懐かしくコメントしてしまいました。祖父が働いていた会社の保養施設だったので、かなり小さいころから小学生時代まで夏にも冬にも毎年訪れていました。祖父母も含めた家族全員で旅行に行くことは今は不可能ですので、あの当時のことは本当に大切な思い出です。館周辺を散歩すること、そりに乗ったりスキーをしたり、小さかった自分にとってとても魅力的な所でした。閉館を知った時には大変さみしい気持ちになりました。今でも時々思い出します。家族との思い出だけでなく、館で働いていらした従業員の方々が顔を覚えていてくださり、新鮮な牛乳を幼い私に飲ませてくれたことなど忘れられません。