最近は歳のせいか過去を思い出すことが多々あります!
その中から5歳から6歳までを振り返ります!

私は転勤族(電電公社)の父の関係で、小学一年で転居を経験しています。
生まれは岩手の宮古市ですが、2歳で仙台に転居したので、生まれた地はまったく記憶していません。
2歳で仙台の今は副都心として大発展を遂げている長町に岩手から転居しています。
転居先は父の会社の社宅ですが、電電アパートといって、もう70年も前のことですが、トイレも浄化槽式の水洗で、今なら3Kのマンションと呼ぶに相応しい立派な建物でした。
この引っ越しは私が2歳の時なので、まったく記憶にありません!(笑)
記憶にあるのは5歳くらいからになります。

近くに大年寺山という伊達家縁の小高い広陵があり、物心ついた5歳頃からは殆ど毎日と言っていいほど大年寺山に登って好きな昆虫を採集しに行っていました。

近くとはいえ5歳で一人で近くの山に登るのですから今ならちょっと冒険過ぎて親は許さないだろうと思います。

とは言っても通常は階段を登って頂上(標高百メーターちょっとです)まで行けるので、そう心配するほどではないのですが、階段を使わないルートもあり、ひたすらゴロタ石を掴みながら、また石垣になりそうな大きな石を登りながら頂上まで行ったものです。

そして、ちょうど木刀になりそうな木の枝を切り取って、柄になる所だけ木皮を残して先は皮を剥いて木刀として持っていました。

その木刀で蛇を見つけ叩きに叩いて殺してしまい、戦果よろしくアパートに持ち込んで見せびらかして「どんなもんだい」と胸を張っていました。正に笑える光景です!(爆)

また、カエルを集め、それを鍋にいれて、金網で蓋を被せて下から火をおこし詰めて、それを眺めて楽しむような幼き狂気もありました!
今、想えばゾッとするようなことを平気でやっていました。

6歳で幼稚園に行きました。その幼稚園の名前も「文鳥(ブンチョウ)組」で先生の顔もまだ覚えています。正に古き良き時代です!(笑)
しかし、幼稚園には私よりも強い相手が二人おり、私は三番手でした。別に喧嘩をするということではないのですが、何となく「こいつらには勝てないな」と思わせるものがありました。
2番手の一人だけ名前を憶えています。重信という姓でした。

そして7歳になる年の昭和35年(1960年)4月に小学一年生になります。
ピカピカの1年生です!(笑)

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一年生にはなったものの、ここまで遊んでばかりいたので、学校というものがあまり分かっておらず苦労しました。
教室の椅子に座っていると何処からともなく声が聞こえてきます。
それが不思議でしょうがなかった!
外でも同じ、どこからともなく声が聞こえて来る!(笑)

教室では前の壁にかかっているスピーカーからの声、外では前でマイクに向かっている先生の声でしたが、それが見えななかった!(笑)

それが小学校に入ってからの最初の印象に残っていることです。

小学校の2学期に入る前に、父の転勤で同じ仙台市ですが、また転居します。
同じ電電アパートで新築のところでした。
今でいう立派な3Kのマンションです。トイレは勿論浄化槽式の水洗です。
当時、民家で水洗なんてあり得ないような時代です。66年前のことです。
最初に仙台に引っ越したのは2歳の時で、そこも水洗トイレでした。

今だから分かるのですが、この頃から大腸過敏性症候群を発症した模様で、学校で腹が疼いてどうしようもなくなって、先生に断ることもなく家に帰ってしまったことが数回ありました。
学校では大騒ぎになること必定です!(爆)

水洗が当たり前の自分の環境だったので、ボットン便所にも違和感がありました!

そういうことで小学校一年生の頃は問題児扱いになってしまいました。

ということで勉強にも力が入らず、ずっと劣等生でした。
それが中学一年生まで続きますが、この時に友達には恵まれ、親友が二人できます。
この親友関係は今も続いています。

中学一年生が終わる頃に父が電電公社の機関長になり、宮城県白石電報電話局の局長で栄転します。
それには家族全員が付いて行って転居します。

そこからは私も中学二年生で、少しは勉強にも力が入るようになりました。
成績は上位に食い込むようにもなりました。
中学一年生からピアノを始め結構な腕前にもなりました。
学校の合唱コンクールで私のピアノ伴奏で優勝しています。
弁論大会にも出ました。
順風満帆な中学二年三年を過ごしています!

5歳〜6歳までの筈でしたが突き抜けてしまいました。
今日はこの辺りにして、またの機会に続きを書きます!