2月最後の日曜日です!

過去に2月には印象深いことが多々ありました。
50年前の今日は何をしていたか!

大学の入学が決まり、首都圏のある病院で、耳鼻科系の手術が明日(昭和47年2月28日)に迫り、大人しく病院のベッドに臥せっていました。

テレビでは、連合赤軍の残党が軽井沢の河合楽器別荘、あさま山荘に、管理人の奥さんを人質に取り、立て籠もって、取り囲んだ機動隊と銃弾飛び交う睨み合いの模様を放映していました。
いわゆる「あさま山荘連合赤軍事件」です。

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日本の警察は、ただ取り囲むだけで銃の発砲などはありませんが、複数の犯人側は、銃砲店を襲って銃器と弾薬をしこたま持っていたので発砲し放題でした。

事件は2月19日に始まりましたが、警察の総攻撃は明日(2月28日)と決まっていました!
その日は、私の手術日でした!(爆)

当日、私の手術は無事終わりましたが、決戦の状況がどうなっているのかが気になって、まだ麻酔が効いて朦朧としている中で、テレビにしっかり噛り付いていました!(笑)

長い1日でした。
この攻防で、民間人一名(勇敢にも人質の代わりになろうとやって来て、玄関前に置いてあった果物の籠を人質に差し入れしようとした一般人:警察はこの民間人が玄関に近づくまで気づきませんでした)と機動隊側二名が銃弾に倒れ亡くなりました。
報道関係者1名が足に銃弾を被弾しています。

テレビはこの攻防戦が終了し、犯人が逮捕されるまで生中継するという、これまでにはなかった一大ドキュメント映像を流したのです。

その後、連合赤軍の内部抗争が明らかになり、複数の連合赤軍メンバーが逃走途中で仲間によって殺害されています。
この事件が大学紛争の最後で、その年の4月から晴れて大学生になった自分たちは、平穏な大学生活をエンジョイすることができたのです。

大学紛争に翻弄された団塊の世代は、多かれ少なかれ心に傷を負っていることでしょう!

時代の一大転機となった、50年前の「連合赤軍あさま山荘事件」でした!

当時、幕僚として指揮を執った佐々敦行氏は亡くなりましたが、その攻防を「連合赤軍あさま山荘事件」として著しています。
秀逸なドキュメントです。

<連合赤軍「あさま山荘」事件>

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映画化もされています。

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映画は、この事件を理解するのに十分役立つ、史実に基づいた内容です。
ぜひご覧ください!