故郷には様々な感慨があることでしょう。
生まれ故郷、青春を過ごした故郷、様々な故郷があります。
この連休の時期、故郷に里帰りし懐かしい故郷の風景を愛でる人々も多いことと思います。
自分を振り返った時に、純粋な意味での故郷というものがありません。父は転勤の多いサラリーマンでしたので、家というものを持ったのは私が16歳の頃でした。そこが故郷と言えなくもありませんが、その家はとうに人手に渡っています。
青春時代のほとんどは父の社宅暮らしでした。
同じような境遇の人もいるとはおもいますが、私は自分の生れた家を知りません。生まれた町は聞いていますが、その町のどこの家で生まれたか特定ができないのです。父は亡くなり母は認知症ですので、今さら聞いてもはっきりしません。父の務めた会社の社宅で生まれたことは確かです。そういう意味で生まれ故郷というものがありません。というよりは生まれた町は分かっても、その地を詳しくは知らないのです。
生まれは岩手県宮古市です。
17歳の時に、まだ一度も行ったことのない、その生まれた町にどうしても行ってみたくなり初冬の時期に一人旅をしたことがあります。その時の想いを詩に残しています。

「僕の生れた小さな町は」

小さな町の小さな港
小さな舟と青い海
とってもきれいな港町
静かに粉雪降っていた

小さな町の小さな海辺
小さな浜と白い波
潮騒だけが響いてた

僕の生まれた小さな町を
僕は知らない
だから今ここにやって来た
そして見たこの町は
僕の心に新鮮(アタラ)しい
こんな素敵な故郷が
僕の知らない故郷が
ここにはあった

今の故郷は長年育った町ということになります。仙台市になりますが、一般的な実家や生まれ故郷とは違った故郷になります。
それは家というものに根ざした故郷ではないということです。
今現在、私自身も確固とした自分の家というものを持っていません。何か親の代からの因縁めいたものを感じてしまいます!(笑)