6b591380.bmpこの卒業の時期になると問題になることがある。いわゆる「日の丸君が代」についてである。
東京都立高校では、卒業式の国旗掲揚国歌斉唱において教職員に日の丸(国旗)に向かって起立し、君が代を歌うことを命令書として文書で通知し、違反した者は何らかの処分をする旨、東京都教育委員会が決定した。これは教職員それぞれの私心を左右するものではなく、職務としての業務命令である、と割り切る。それをテレビで説明する東京都教育長(正確な肩書きは忘れた)を見て、いかにも威圧的に見える態度(自分個人として思っただけ)や、一見高邁な物言いに、言い知れぬ嫌悪を感じて、現場の先生方の苦労は如何ばかりかと気の毒に感じたのは自分だけだろうか?
自分としては、風俗習慣を同じくする日本民族として生まれ、その日本国に住み、50年以上生きている。数値で測れるようなものではないが、当然の如く愛国心は持っている。
何かの行事や、特定の国民の何らかの栄誉を称えるために国旗を掲揚し、国歌を歌うことは何ら抵抗がなく、自分の中ではごくごく自然なことである。
しかしである。過去の天皇制において、「日の丸」が日本国の権威として存在する天皇崇拝のシンボルとなり全体主義の高揚に利用された経緯がある。また国歌としての「君が代」は天皇を称える和歌なのだ。そこを問題視する輩も大勢いる。
そうだとしても、今の日本国において「君が代」は歴史文化の遺産であり、それこそ日本国の象徴と言ってもいいかもしれない。
そういう意味で、自分としては「日の丸・君が代」に抵抗はない。
また、しかしである。果たして国旗掲揚時に「日の丸」に向かって起立し、国歌を歌うことを、処分をちらつかせ、いわば強要するやり方が良いかと問われれば、断じて否、と言わざるを得ない。この民主主義国家において、国家を象徴する「国旗と国歌」のことであり、尚更そこに強要があってはならないのだ。
もともと愛国心あっての国旗であり、国歌ではないか。自由奔放に生きる今の若者には、きっと自分の「国」というものを意識することがないのかもしれない。それは今の日本が平和そのものであり、そのことを意識せずとも何ら問題はないからだ。それはそれで大変結構なことである。
またまた、しかしである。当たり前のことだが、我々は押しなべてこの日本国に住み、平和と安全を享受して日々暮らしている。それは日本国という国が国民を守っているからこそのことである。大げさな言い方をすれば国に感謝すべきことでもあるのだ。
そう言っておきながら矛盾することを言うが、憲法9条があって、国家として他国から国民を守る、ということが日本国には少々欠如している。北朝鮮の拉致問題がそれをよく現している。国家が国民を守る、ということは国家の最大の義務でもあるからだ。
それを阻んでいるのは憲法9条を改正しようとしない多くの国民の責任でもあるのだ!
右に左にぶれるが、愛国心とは国が国民に対して自然と培って行くものである。国民自身がそれを感じ取れないと愛国心はなかなか育たない。
国旗・国歌は強制するものではない、と政府は答弁している。それはそうあらねばならないことである。
東京都と国のねじれ現象は好ましいことではない。
国民それぞれが国旗・国歌をどう考えるかは自由である。
強制するものでは更々ないし、また冒涜することも許されることではない。
自分の希望は、国民一人一人が愛国心が抱けるような日本国を培って行く、それに尽きる。
愛する国に住みたいではないか!

<2019/03/10 追伸!>
インターネットが今ほど普及しておらず、個々人の意見が自由に発信できていない2005年当時は、保守の論客としては私にもかなりの遠慮があり、左派に対してかなりの配慮が見られます!
今なら遠慮など一切せず自分の主張をするところですね!(笑)
「国旗国歌に敬意を表せない者は日本を去れ」とね!
過去の記事を読んで、それだけ時代は日々流れているこを実感できます。

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