2004年10月13日

マイバイクの変遷!

669e0925.JPG1970年、高校の授業をサボってバイクの免許を取得した。当時の実技は125CCの実用車を使用してのものだった。免許を取る前からホンダのCB90を親に買ってもらい、家の近くの山間の空き地でさんざん乗り回したので、実技は簡単、一発合格である。高校2年の秋のことだった。
当時のホンダCB90はよく走った。たった90CCのバイクだったが100Km/hくらい楽に出たものである。

当時、憧れていたものがあった。ホンダCB750である。たまに我がCB90と行き交うことがあり、こちらからピースサイン、相手も必ず返すのだが、その人・車一体の優雅な動きにシビレたものである。「いつかはクラウン」ではないが、「いつか必ず俺も乗るぞ」と誓ったものだった。
道のりはかなり遠かった。学生時代は関東だったので、バイクには殆ど乗っていない。社会人になって最初の5年は地元から離れての勤務だったので、バイクは実家に置いたままだったが、いつの間にか、もう乗らないと思ったのか、母が市役所に寄付してしまった!(笑)
そんなこんなで、バイク暦に10年のブランクができた。
28歳で地元に戻った。会社の通勤用にヤマハSR125を買った。昔のCB90に比べると排気量は上だが80Km/hを出すのがやっとの単車だった。約10年近く乗り潰し、いよいよ年収にも余裕が出てきたので、ナナハンも買えるようになったが、しばらくはヤマハビラーゴ250のアメリカンに乗った。38歳の時、ゼファー750に跨った。今やカワサキがビックバイクの代名詞である。夢を実現をしたが、ナナハンはビックバイクに非ず。1000CC以上のバイクをビックバイクと呼ぶ時代になっていた。我が人生最後(?)のバイク、カワサキGPZ1100の登場である。市販されているバイクで最も速く走れる逆車(日本が輸出したバイクを日本に逆輸入)カワサキZZR1100(最高スピード300Km/h)と同じエンジンを積んでいる。日本仕様のGPZはリミッターといって、180Km/h以上のスピードが出ると燃料供給がカットされるようにできているのだ。実際は180km/hなどは、このバイクからすれば、まだまだ加速中のスピードである。もう40歳を超えてからのビックバイクである。年甲斐もなくなどと言われそうであったが、気にせず乗った。正に17歳の夢実現である。時間があればツーリングをしていた。印象に残るロードは沢山ある。「九十九里浜ロード」「房総フラワーライン」「長野ビーナスライン」「北海道サロベツ原野」等々、挙げれば切がない。1996年の北海道、道央・道北・道東への3泊4日の強行軍ツーリングを最後に我が鉄馬を下りた。
朝靄煙る帯広を苫小牧に向けて南下中、靄の切れ間にブルー尽くめのライダーが見えた。人・車ともにブルーである。細身のかっこいいライダーに思えた。間もなくすれ違う、左手を胸の前に手刀を切るようにピースを贈った。「あっ、やられたぁー」思わず叫んでいた。そのライダーは、左手で大きく優雅に投げキッス、ヘルメットのフェイスの顔が笑っている。女性だった。
きっと人生最後の?長距離ツーリング(2000km走った)の餞をいただいたようで、何とも言えず清々しく、年甲斐もなく嬉しかった。「僕は君を忘れない、ありがとう」


kenhappy1 at 03:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 郷愁 

2004年10月12日

時間と空間!

4e82f619.JPG時間と空間を考えるとき、漠然とした恐ろしさを感じることがある。
どうして1分前の自分を鏡に映せないのか?
どうして1分後の自分を鏡に映せないのか?
現在は常に前に進み未来を埋めて行く。
過去は後ろに広がり思い出となる。
自分の存在を考える時、 何故ここにあるのかを不思議に思う。

今いる空間が
恐ろしくなることがある

今どうしてここにいて
連続した時間の中で
自分の存在があるのだろう

その存在は過去と未来の狭間にあるが
境界線は見えない  

どうして1分前の自分を鏡に映せないのか
どうして1分後の自分を鏡に映せないのか
現在は常に前に進み未来を埋めて行く
過去は後ろに広がり思い出となる

自分の存在を考える時
何故ここにあるのかを不思議に思う
 
地球に人類が誕生し
その特定の男女の営みによって
自分が誕生した
そして半世紀生きている

ごくあたりまえの
理(コトワリ)を考えているのではない

閉じられた空間の中での
時間の矢に縛られている
この世の全ての存在が
不思議であり
この空間にあることが
漠然と恐ろしく感じるのだ

現在だけが
自分の存在を決定している
未来は存在ではなく無である
過去は存在ではなく記録である
存在は現在にのみ生きている

夜が来て眠りにつけば朝が来る
どうして連続した時間の中で
自分の存在と共に
夜が来て朝をむかえるのか
その存在が不思議であり
漠然とした恐ろしさを感じるのだ


kenhappy1 at 02:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) コスモス 

2004年10月11日

夢のフィールド!

a50b287e.jpg転勤族の父のもと幼き頃、住まいを3度替えた。その一つに数十年ぶりに行ってみたことがある。
マンションタイプ2階建12戸の集合住宅である。
その敷地には、幼き頃の遊びのすべてを賄ったフィールド(広場)があった。

水を撒いて凍らせスケートもした。軟式テニスボールで草野球もした。バットは棒切れ、グラブは素手である。隣の家の屋根を越えたらホームラン。コマをぶつけて叩き割る喧嘩ゴマ、ビーダマにパッタ(メンコ)、地面にS字を描いて、相手の陣地まで、ケンケンで跳ねて敵を倒しながら敵陣の宝を奪うS外戦。等々、幼き遊び心は尽きることがない。皆が天才である。
小さい、あまりにも小さすぎる。今の大人の目では、何もできないと思えるほど小さなフィールドである。
同じフィールドで様々なドラマが演じられたとは到底思えず、驚き以外の何物でもない。
数十年の時の流れが物の見方を変えてしまった。

小さな心に
いっぱいに広がる
大きな夢の遊び場

こちらの塀から
あちらの塀まで
走り比べを楽しんだ

投げて打って
隣の家の
屋根を越えたら
ホームラン

砂場に輪を描いて
はっけよい
のこったと
横綱の張り合い

独楽をぶつけて
力を鼓舞した
喧嘩独楽

潰れたら負けと
歯を食いしばる
駈けて背に乗る
馬ごっこ

Sの字描いて
ケンケン歩きで
相手を倒し
宝を奪うS外戦

ビー玉をぶつけ合い
メンコをひっくり返す

すべてを賄った
小さな心に息づいている
大きな夢の遊び場

小さい
何もできないほどに
小さい

数十年ぶりに
思い出の遊び場に立ち
慄然とする

穢れた目には
失った純の数ほどに
大は小となり
幼い思い出が嘘のようだ

この空間を
再び夢の遊び場とすることが
できるだろうか

純な新鮮な心の目を
再び得ることが
できるだろうか

穢れた大人より
幼子でいたい

kenhappy1 at 00:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 郷愁 

2004年10月10日

聖戦?

2e732467.JPG高校3年生の頃に、どうして特攻隊は国のため天皇のために死ぬことができたのか?「生等はもとより生還を期せず」どうして出陣学徒は国のため天皇のために身を捧げる決意を表明できたのか?本当にそうなのか?
まじめに議論し頭を悩ませたものである。

「すべては諦念である」その時代に生きてしまったことによる諦め以外の何物でもない。
テレビの特別番組を通じて、実際に当時徴兵された学徒本人から生の意見を聞くことができた。
靄の晴れる思いがした。

「聖戦」

10代後半によく考えたものである
どうして国のために
特攻隊は死ぬことができたのだろう
聖戦を謳い天皇の名の基に
死して虜囚の辱めを受けず
無意味な戦争に
どうして玉砕できたのだろう

基本的人権の基に
自分の意思を貫くことのできる今
それらを若者が語る時
死の美学となった

雨煙る神宮外苑
昭和18年10月の学徒出陣に
三八式銃を背負い行進する学徒は
何を思ったのだろう
「生等はもとより生還を期せず」
果たしてそうなのか
何物にも妨げられない自分の意思で
本当にそう思ったのだろうか

家族を守り国を守り民族を守る
この誰しも持っている思いは
生きる時代に関らず
国民の心に純粋に存在するものである

この思いではなく
皇国を守り抜くために
天皇のために
「生等はもとより生還を期せず」
なのだろうか

否である断じて否である
意識するしないに関らず
すべては諦念である
逃れられない
時間と空間の接点に生きてしまった
悲惨な運命に他ならない
皇国のためでもなければ
天皇のためでもない
誰しも無意味な戦争から生還したかったのだ

思いがけなく
学徒当事者の思いを聴くことができた
長年の疑問が見事に吹き飛んだ

kenhappy1 at 01:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 徒然なるままに 

2004年10月09日

滅びの世界!

509e8336.jpg我々は確実に消滅する滅びの世界に生きている。
それは想像もできないほど遠い将来ではあるが、数十億年後の未来に赤色巨星となった太陽に飲み込まれる運命にある。その後太陽はゆっくりと冷え、白色矮星となり輝きを失い死の星となる。
数十億年後まで人類が生き延びているとすれば、きっと星間宇宙に旅立つ術を身につけていることだろう。

しかし、数十億年後まで人類が生き延びるとは到底思えない。宇宙の時流からすれば、たった21世紀に生きる現在でも滅びを加速する方向に進む一方だ。戦争、テロ、これまでの文明がもたらした温暖化現象、それに起因する天変地異、等々。地球、それを支配していると錯覚している人類、共々が徐々におかしくなっているように見えるのだが?
人類は、地球で唯一、宇宙を大観できる脳を持っている。
その知恵を壮大な宇宙に結集するなら、遠い将来に生き延びることができるかもしれない。
宇宙から見れば地球に存在する我々は、当たり前のことだが地球人である。その同族同士が殺しあっている。そんな地球人が遠い将来まで世代を継いで生き残れる筈がない。
明日の未来は、数十億年後の未来に通じる第一歩である。地球人の未来は、滅びの世界からの脱却にある。必ず消滅する地球に存在する我々が、我々自身で消滅を早めて何になる。地球人として一つになり、世代を継いで、星間宇宙に脱出するのだ。果てしなく壮大な思いが、人間を地球人を優しくさせる。

年老いた太陽
赤色巨星が
母なる地球を飲み込む
数十億年後の現実

人類はその時まで
生き延びることができるだろうか

生命は粘り強いが
あっけない存在でもある

6千万年前に
我が世の春を謳歌していた恐竜は
ユカタン半島に落下した
10Km四方の隕石によって
あっけなく消滅した

恐竜はそれ以前6千万年の間
この地球を支配した

人類の起源は
どんなに遡っても5百万年であり
それ以前は何も解らない

このことだけでも
人類がこの地球では新参者であり
絶対的存在ではないことが解る

その人類は
地球消滅の時まで
素晴らしい進化を遂げ
生き延びることができるだろうか

我々は滅びの世界に生きている
数十億年後の未来に
確実に消滅する母なる地球に

我々の死が確実なように
それは自然の摂理である

その時まで
人類が生き延びることができるなら
死に行く地球を目前にして
星間宇宙に旅立つ術を
身につけていることだろう

宇宙に飛び立つのだ
限りなく光速に近い
宇宙船団地球号で

母なる地球を探して
何世代にもわたる
壮大な星間宇宙の
フロンティアの旅に出るのだ

百万年後には
いくつもの殖民惑星に
人類の子孫が根をおろし
次なる惑星を探査していることだろう

百万年は長い
現在に生きる人類が
宇宙船を持って数十年
技術文明に入って
まだ数百年である

しかし宇宙の時空は壮大である
百万年は無いに等しい

無いに等しい百万年を
フロンティアの百万年に
充実させることができるなら

21世紀初頭に生きる我々は
未来に繋ぐ人類の礎として
胸を張って生きることができるだろう

kenhappy1 at 04:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) コスモス 

2004年10月08日

ハングリー精神!

e0116c33.jpg23歳のときにアマチュア無線の資格を取得した。
トンツー=モールスに興味を持ったからだ。日本の巨大通信会社関連に就職したのだが、そのとき出会った上司がこれをやっていたのだ。戦中はもちろん戦後しばらくは、通信手段としてトンツーは活躍を続けた。戦後派の我々の世代はトンツーを音で覚えたものであるが(もちろん仕事では最早使われてはいない)、上司が過去に仕事でやっていた通信は有線である。電鍵の接点が付いたり離れたりする、それこそトン、ツーあるいはカツ、カツーというような生の電鍵の音で読み取るのだ。こちらは、スピーカーから出るピーピピーというような音の区別で覚えた。モールス信号は同じでも、聞き取る耳はまったく違うのである。昔の電報はすべてこのトンツーでのやり取りだったが、今の我々では仕事にならなかったに違いない。カツ、カツという響きだけでは聞き取れないからだ。

23歳から30歳(パソコンがこの世に出現するまで)まで、毎日ヘッドホンをかぶってトンツーの音を子守唄代わりに聞き入っていたものだ。
毎日が電波での世界旅行である。当時は冷戦時代であったが、東側も無線に関しては大変盛んで、大抵の国々と交信している。日本を嫌う無線家もけっこういた。CQ CQ NO JAとCQを出す者も多かった。そもそもCQとは誰でも良いから応答願いますの意味である。NO JAには正直頭にきたものである。
ソ連は大国ではあったが、電源事情が悪く、トンツーの音がピゃーピャーピャーと飛んだり跳ねたりするのだ。ある意味面白い国だった。
日本は総じて世界の無線家からは嫌われていたといってもよかろう。それはあまりにも無線家の数が多かったからである。それも90%は電話級といって、言葉で話す無線である。世界標準はトンツーができて初めて無線家と言えたからだ。無線家ならぬ無線家が山ほどいたので嫌われた。
だから前述のNO JAとなることが多いのだが、それ自体は大変失礼なことなのだ。
表題は「ハングリー精神」、何がそうなの?前置きが長くなったが、それは、無線を始めた頃は、10Wの出力でがんばっていた。アンテナはアパート住まいで、屋根に高く上げるわけにも行かず、ベランダから出しただけのバーチカル(垂直に伸ばした1本の金属の棒)であった。その貧弱な設備で世界の国々の微弱な電波を傍受して、交信をするのである。並大抵の集中力ではないのだ。トンツーは単純な音の集積なので、僅かな響きであっても聞き取ることができる。それが幸いし10Wで100ヶ国以上と交信することができたのだ。これはけっこうな快挙なのだ。と自分では自負している。
アワードといって、交信で一定の規定をクリアすると賞状がいただけるのだが、かなりの数のアワードをいただいた。
中でも世界的に最も権威のある「DXCC」アワードをCW(トンツー)で3年で成し遂げたことは今でも誇りに思っている。世界の100ヶ国以上と交信し交信証を交換しなければならない。無線設備を勘案すれば3年でのクリアはとても難しいといって過言ではない。
コールサインは、JR7KNDである。
貧弱な無線設備で大物を仕留める、ハングリー精神があったからできたことである。

kenhappy1 at 09:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) アマチュア無線 

2004年10月07日

聴いてきた音楽!

ac66432b.JPGこれまでどのような趣向で音楽を聴いてきたのだろう、と振り返ってみた。
積極的に音楽を聴きだした(この場合、レコードのことをいう)のは、小学校の6年生12歳からである。加山雄三が「君といつまでも」を出した年、昭和40年である。初めて自分で買ったレコードでもある。330円だった。加山雄三のシングルレコードは、きっと半分くらいは持っていると思う。人気は気紛れ、中学2年の頃、加山雄三の爆発的な人気も陰りを見せ始めた。

中学に入ってからはクラシックがメインとなる。たまに加山雄三を聴くというパターンである。クラシックで最初に買ったレコードはビゼーの「組曲アルルの女」だったと思う。誰々の作曲家に凝る、ということはなかった。この頃は組曲の中の曲を買うことが多かった。グリーグのペールギュント組曲から、「朝」とか「ソルベイグの歌」とか!
シベリウス「フィンランディア」スメタナ「モルダウ」、交響詩もよく聴いた。上げれば100以上にはなってしまう。交響曲は「ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ショスタコビッチ」等そんなに多くの作曲家の曲は聴いていないが曲数は多く持っている。最後は、バロックである。一番レコードを持っているかもしれない。何といってもビィバルディーの「和声とインベンションの試み=和声と創意への工夫=いろいろな題名訳がある」その1番から4番が、皆さんよくご存知の「四季」である。社会人になってからは、積極的に聴くことはなくなってしまったが、聴けばじっくり聴いてしまうのがクラシックだ。高校から、クラシックと平行して洋楽や日本のニューミュージックを聴くようになる。洋楽はビートルズに熱中した年代より若いので、私の場合はS&G(サイモンとガーファンクル)である。1970年代だ。「明日にかける橋」「コンドルは飛んで行く」その他印象深い曲が多々ある。ビートルズも社会人になってからよく聴くようになった。そして、忘れられないのが17歳のときに出会った「小椋 佳」の「彷徨」のアルバムである。すっかり虜になってしまった。その他、フォークソングも好きだった。どうしてもダメなのは、激しいロックである。ロックは歌う音楽ではないと思っている。踊る音楽だ。
人間とは、素晴らしい感性を持っている動物である。心を震わす音を創ることができるのだから!

「交響曲」
チャイコフスキーの第四番交響曲が
ファンファーレを高らかに奏でる中
夏の花火はカラフルに
次から次へと夜空を染めて美しい

何年前の映画だろう
無骨なチャイコフスキーの
人生物語としては
派手なオープニングであった

目には目を歯には歯を
鬱の嵐に心の船が悲鳴を上げる時
竜巻のような第四番は
嵐と戦い航路を開く

この物悲しげな
激しい情熱の響きは
何物にも喩えようはないが
紛れもなくチャイコフスキーが
人間が成し得た業である

ショスタコビッチの第五番交響曲が
ファンファーレを高らかに奏でる中
ロシアの広大な大地に
砲声が鈍く響きわたる

何年前の映画だろう
ロシア革命には
正にこの革命交響曲が相応しい

それはショーロホフが綴った
壮大な静かなるドンの物語
赤軍と白軍の間で
自分の進むべき道を
見出せない主人公を
ボルシェビキに導いて行くようだ

この力強い荘厳な響きは
何物にも喩えようはないが
紛れもなくショスタコビッチが
人間が成し得た業である

kenhappy1 at 01:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 芸術 

2004年10月06日

ガソリン価格!

470f7aac.JPG原油の価格がバカ高である。1バレル(樽)50ドルくらいだろうか?
原油自体は潤沢にあるのに、なぜ高騰しているのか?
このデフレスパイラルの最中に必需品の高騰は死活問題である。どこかで市場操作をしているに違いない。需給のバランスを故意に崩しているのだ。
国内的には度重なる台風の影響で原油備蓄が減っていることも高騰要因のひとつのようだ。

しかしリッター130円台の価格は、昭和49年から50年代初期にかけての石油危機以来、経験したことがない。
その頃は、高度成長時代で、狂乱物価だったが、賃金も上がった時代である。今のお金が回らない(動かない)時代とはまったく状況が違う。その中での130円台、これは日本経済危うし、と思った方が良い。
お金の回らないデフレ時代だが、比較的物価は安定していたから、何とか生活もできている。お金が回らなければ当然、買い控え、貯蓄に回り、物価は凍結か下落する。そのかわり停滞経済から脱することができない。悪循環が続くのだ。
石油からできている商品はけっこうあって、それらも上がっている。身近に感じるのは紙の価格だ。パソコンには紙が付き物、プリンターがなければパソコンのメリットは半減してしまうが、そのプリンター用紙が100円くらい上がっている。毎日使うので痛い。ここまできたら政府が何とか対策を取らないといけないが、何のアナウンスも聞こえてこない。故意に避けているとしか思えない。困ったものだ。
景気が良くなってくれないことには、生活も良くならない。デフレスパイラルで、全体的には物価は下落していて、日常生活にはそれほど困らない状況だが、だからといって、例えば住宅ローンの支払い額が安くなるわけではないし、リストラで給料は下がっているのが普通の世の中で、家計への圧迫はかなりのものとなる。また必需品に対しての趣味的商品の価格は高値安定といったところで、安くなってはいない。自動車がいい例だ(もう日本では自動車は必需品かもしれないが)。軽自動車でも100万円ないと満足の行くものは買えない。一般大衆車では150万円がひとつの目安となる。3ナンバーであれば250〜300万円はするところだ。それが年間500万台から売れているのも事実である。中古車も含めれば合わせて1500万台以上が売れている。しかし、これだけでは、日本の屋台骨を支えるにはぜんぜん足りないのだ。買うべき目的がはっきりしていて余計なものは買わない、国民の購買に対するスタンスがデフレを促す方に変わってしまった。バブル期のように、新製品を次から次へと買い換えるようなことは、今は夢のまた夢になっている。家電など、もはやテレビのごとく必需品に近いものは壊れるまで買うことはない。また製品が良くなっているので、テレビに限らず、これがよく長持ちする。耐久消費財の役目を良く果たすので、この分野での貨幣の流通はそれほど望めないのだ。しかし、車を買えるほどの貯蓄があるのも事実である。それをいかに日常的に引き出すかは、日本経済の活性化がなくてはできないことなのだ。サラリーマンにとって、会社がどうなるかわからないのに、消費ができるわけもなく、会社は消費者の財布の紐が閉じたままでは働く者の給料が払えない、という相互に悪循環となっている。ちょっと考え方を変えないといけない。PCはちょっとおもしろい。必ずしも完成品を買う必要はないのだ。パーツを寄せ集めることによってひとつの製品となる。当たり前の話のように聞こえるかもしれないが、これは他の製品にはあまりないことなのだ。PCはマザーボード、CPU,メモリー、HDD、DVD、CDなどをシャーシーに取り付けて、マザーボードと結線すれば完成品として動いてくれる。CPUやマザーボードの世代交代があれば、その部分だけを買い換えれば、簡単にグレイドUPが可能となる。完成品の1/10の金額でできてしまう。こういったように、完成品だけを買い、それがダメになれば、また完成品を買う、というのではなく、パーツごとに取替えが可能なら、もっと頻繁にグレイドUPのための消費がうまれるのではないか?と思うのだが。ダメになったところだけを取り替える、あるいはグレイドUPのためにある部分だけを取り替える、そいう消費なら懐がそれほど痛まない。大事なのは1億総消費の時代にちょっとは戻さなければならないのだから!

kenhappy1 at 02:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 経済 

2004年10月05日

時の流れ!

72c400b0.jpg51年が過ぎた。信長の時代なら余命幾ばくもなく、だろうが、現代ではまだまだ洟垂れ小僧、平均余命までは30数年残っている。とは言っても当事者は、あと30年か、と走馬灯のようなときの流れに押し流されそうである。
どうして歳を重ねるたびに時は早く流れるのか?マカ不思議だ!そんなことを誕生日に考えている。

過去は振り返るものであり
未来は進むべきものである

どんなに苦しいことも
どんなに楽しいことも
現在に留まることはない

好むと好まざるとにかかわらず
現在から未来へと流れて行く

この理があればこそ
人間は喜怒哀楽を享受して
生きて行ける

喜びも悲しみもやがて過去となり
心のスクリーンに映し見る
思い出となる

どんなに苦しいことも
確実に過去となる
現在の苦しみが支配する
時間(トキ)の流れに逆らわず
涙を加えて激流となせば
穏やかな過去が描かれる
そう信じて泣くがいい

どんなに楽しいことも
確実に過去となる
現在の楽しさが支配する
時間(トキ)の流れに逆らわず
喜びを加えてせせらぎとなせば
至福の過去が描かれる
そう信じて笑うがいい

kenhappy1 at 03:31|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 芸術 

2004年10月04日

君子は危うきに近寄らず!

d0625248.JPG高校時代、大学受験を真剣に考えたことがなかった。「どこかには入れるだろう、入れるところに入ればいいじゃないか」そんな感じだ。しかし、大学には行きたいとは思っていた。頭は悪くはないと自分では思っているが、勉強をしなかったので当然、成績は悪かった。勉強はしなかったが、その分、読書は人の何倍もしていたと思う。高校3年生も夏くらいになると、担任も「このままでは大学行けないぞ」と脅しをかけるようになる!(笑)かなりのスロースタートで、受験勉強なるものを始めるが、時期遅し、国立一期は無理との太鼓判を押されてしまった!(笑)それでも冬くらいには文科系で10番台まで成績は回復した。10番台といっても150人くらいの中である。たいした事はない。

「君子は危うきに近寄らず」と嘯いて、入れもしない大学受験は諦め、地元のそれなりには有名な大学(我が高校の受験希望の半分は、この地元大学に入る)と、関東の絶対に落ちない大学を受験し、無事合格した。浪人して国立一期を目指そうなどという気概はまったくなかった。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」はまったく頭になかったのだ。
高校まで地元から出たことがなかったことと、某大学の予備校のような我が高校である、そこに行けば高校の延長で、知った顔ばかりを見ることになり、少々ウンザリである。と言うわけで関東の大学に行くことにした。
大学の自由な雰囲気は良かった。授業に出る出ないは自由だが、ダメなら自分で責任を取らなければならないのも大学である。大学でも単位を取るための勉強はしたが、主にクラブ活動に専念した。グリークラブである。
1975年の録音で、音は聴くに耐えないが、私がソロを歌っている合唱曲がある。それをお聴きあれ!

多田武彦 組曲「雨」

4年間打ち込めるものがあっただけでも良しとしよう!(笑)

kenhappy1 at 16:37|PermalinkComments(0) 徒然なるままに 

My PCの変遷!

bbe6af33.jpgこれまでPCを何台使ってきただろうか?
最初に求めたのは、1984年2月、それまでやっていたアマチュア無線の機材を売って、NECのPC6601を買ったのが最初である。何か新しいことを始めるときには、何かを諦めなければならない。そんな年収の時代だった。
その後、8801、9801とグレイドアップして1995年の夏まで使っていた。当時のパソコンは、真っ暗なディスプレイに白いカーソルがピッカピッカしているだけのものだった。当然、BASICなどコンピューター言語を理解しないと独自には使えない時代だった。
1995年後半、PCの世界に大波が押し寄せた。
Windows95の登場である。

これまでのPCと何が違うか、それはGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)、ディスプレイのグラフィック(絵)を見ながら操作が可能になった、ということである。これまでのように真っ暗なディスプレイではなくなったのだ。
これを機に、これまでの98からWindows95が手に入るPCを買うことにした。それまでの98は値段がバカ高だった。最後の98は35万円もしたのだ。
値段もリーズナブルに変わってきた。
某メーカーのWindows3.x(この部分のバージョンを忘れた)がインストールされていて、Windows95アップグレイド付のDOS/V機(CPU100MHz、FSB100MHz)の当時としては最新機種を買った。
その後、CPUを166MHzのアクセラレータに変えたり、800MBしかなかったHDDにもう1台2GBを増設したり、メモリーを32MBにしたりと、2年くらいグレイドアップさせながら使っていたが、いよいよマザーボードを交換しないと性能アップが望めないところまできたので、秋葉原直結店からショップブランドカスタムPCを買った。
カスタムPCである、その後何年もCPUを変えたり、HDDを増設したり、ビデオカードを変えたり、メモリを増設したり、たまに筐体をかえたりと、何台使ったか?という表現ができない使い方、いわゆるカスタムして使ってきたのだ。
根っから何かを創り上げる(夢中になる)ことが好きなのかもしれない。
現在のスペックは、
★CPU=Intel Pen4 3.0C GHz(L2=512KB FSB=200MHz 220MHzにクロックアップして使用)
★メモリ=PC3200 512MB
★HDD=。奪疋薀ぅ屐瓧僑娃韮臓´■張疋薀ぅ屐瓧隠僑娃韮臓´Kドライブ(USB接続)=30GB ぃ魅疋薀ぅ屐複妝咤太楝魁法瓧隠僑娃韮臓々膩廝苅隠娃韮
★マザーボード=Intel 875Pチップセット
★グラフィック=nVIDIA Geforce FX5600 128MB
★サウンド=Roland SC−D70
★DVD/CD=DVD+-R/RW(+-R×8、RW×4、+R2層×2.4、リード×12)CD−R/RW(R×52、RW×24、リード×52)
★FDD=2MODE
★LAN=1000BASE−T(ギガビットLAN)
★ルーター=無線LANルーター(G54対応)
★I/O=USB2.0内蔵6ポート、USBハブ=2.0(6ポート)1.0(2ポート)、シリアル×1、パラレル×1
★TVキャプチャーカード内蔵
★接続周辺機器=.ぅ鵐ジェットプリンター ▲好ャナー CSチューナー ぅ好謄譽ミニコンポ ぃ横吋ぅ鵐腺圍

このようなスペックだ。
最近はCS映画専門チャンネルの映画をHDD録画、DVD化して楽しんでいる。
1984〜1995頃には想像もできなかったPCの進歩である。
それに比して、人間はさっぱり進歩しない動物らしい。
相変わらず「闘争、SEX」と爬虫類の脳=海馬=が幅を利かせている。困ったものだ。

kenhappy1 at 02:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0) PC 

2004年10月03日

特攻!

2294b897.jpg「戦艦大和」の探査から5年が経つ。
戦後派の人までなら誰もが知っていた「大和沖縄特攻」の悲劇。3000人が263mの巨大戦艦とともに海の藻屑と消えた。悲しい物語である。
詩に想いを込める。

「海のモニュメント」
東シナ海の深海に眠る
巨大な海のモニュメント

終戦から一桁の
戦後派の心を捉えるのに
模型で見る神秘の勇姿は
あまりにも美しかった

まだ日本海軍の象徴として
広く語り継がれた時代である

巨大戦艦大和
戦後派一桁なら
誰もが知っていた
その儚い運命

50年を超えて
今や伝説となったその物語が
現実のものとなった

映像が最後の断末魔を
白日の下にさらす

全長263mの船体は
真っ二つに折れ
艦尾から180mは
船体に大きな穴をあけ
ひっくり返って
腹を見せている

艦首から90mは45度に傾き
かろうじて原型を留めている

世界に二つとない
三つの主砲45Cm砲は
ひっくり返って海底に刺さっている

何と哀しい最後であろうか
不沈艦といわれた
海に浮かぶ巨大な要塞の
最後の姿である

敗色濃い昭和20年4月7日
戦艦大和は
国のために覚悟を決めた
15才の少年兵も含め
3000人の乗組員とともに
沖縄特攻という死の戦に赴いた
1000m上空に暗雲立つ
不吉な日であったという

やがて東シナ海において
死闘が演じられる
戦艦であるために
艦上機を持たない
大和の劣勢は明らかで
次から次へと
魚雷が船体に損傷与える

やがて浸水し船体が傾き
ひっくり返って
大爆発を起こし沈没する

この戦いに関わった敵の戦闘機は
1000機であったという

涙が溢れた
止めど無く涙が溢れた

ただ見れば鉄の残骸だが
そこには3000とおりの
切ない物語があると思うと
涙を止めることはできなかった

艦首の1.5mの菊の紋章
日本の象徴が白々しく見える

この3000人の物語を
今の日本人は忘れてはいまいか
決して過去の亡霊ではない
3000人の人柱を心の礎を
大切に受け留めて欲しい

kenhappy1 at 12:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 徒然なるままに 

2004年10月02日

不惑の歳!

2011800d.GIF「40歳にして惑わず」これは人生50年を前提にしている?そうである。そうなると、人生80年の現代の不惑は70歳ということになる?51歳になんなんとする自分は未だに惑いばかりで、まったくもって心もとない。
幼き日、大人といわれる人と接するとき、本当にかなりの大人に見えたものであるが、いざ自分が十分すぎる歳を重ねた今も、歳に自信が持てず、自分の思いとしては子供のままである。きっと幾つになってもこの思いは変わらないのだろう。現代の不惑70歳を迎えて、なお自分の歳に自身が持てないのか?できれば人生の達人になっていたいものである。無理に決まっているが!(笑)

精神的に大人か子供かは別にして、自分が肉体的な歳を感じたのは厄年である。何をするにも体が言うことを利かなくなってきたのだ。「おかしい、どうしたんだ、体が思うように動かない、こんなはずじゃない」これまで、感じたことのない体の反応が不安を増幅させる。何ら意識することなく、いとも簡単にできたことが簡単ではなくなってくる。これが老いというものなのか、と初めて歳を意識したのが厄年42歳であった。
何事もそうであるが、実際に経験してみないと、はっきりしたことはわからない。それは当たり前のことであるが、往々にして、たいしたことはなかろうと想像で判断してしまう。老いを感じてからは、人生の先輩に対して素直に思いやる心が湧いてくるようになった。
物事、経験してからでは遅すぎることの方が多いかもしれない。未経験は恥じることではないが、事にあたって、想像ではなく、賢者の意見に素直に耳を傾ける謙虚さがあるなら、未経験が経験となったときの不安は解消され、しっかりと未来を見据えることができるだろう。

kenhappy1 at 09:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 徒然なるままに 

2004年10月01日

振り返る歳の数!

4739c817.JPG40数年を振り返っても、まだ幼き日々は我が記憶にある。今が50代故のことである。40代では30数年、20代では10数年、当たり前のことである。
違っているのは当然のことながら生きた時代だ。
40数年前には殆どのハイテクはなかった。テレビ、ラジオ、あったのはそんなものである。家庭には電気冷蔵庫も電気洗濯機もない時代だった。

幼き日のありふれた1日。
カランコロン、カランコロンと団子売りが鐘を鳴らし、リヤカーを引いて売りにくる。
カーン、カーン、カーンと拍子木を叩きながら紙芝居が到来を告げる。
長閑そのものである。この優雅さを知らずに育った世代の上限は平均余命のほぼ半分の年齢、40代前半までである。
その年代は、町に自転車でやって来る紙芝居などきっと経験したことはない。
だからどうなのか?
幼き日の長閑な日々は、心の中に優しい憧憬ともいうべきフィールドを築き心の豊かさを齎す。それは芸術の発露を促すのだ。

カーンカーンカーンカーン
乾いた拍子木の音が
町内に響き渡る

5円玉を握り締めて
家々の小さな隙間に陣取った
紙芝居屋の自転車の前に来る

もう先客が何人か来ている
待ち遠しい時間とともに
10人程度のガキどもが集まった

何でできているかは判らない
パリパリとした
手のひらよりも大きな薄い煎餅に
とろろ昆布をサンドして
ソースをふったもの
赤紫蘇色の梅ペーストをサンドしたもの
そして水飴

思い思いの食べ物を
5円でいただく
ウキウキした瞬間

いよいよ紙芝居が始まる

今日は月光仮面
颯爽とバイクに跨った
白頭巾にサングラスの
ヒーローが悪を小気味良く
叩いて行く様を
声高らかに
迫力あるダミ声が導いて行く

思わず引き込まれ身を乗り出す
純な幼さが懐かしい

娯楽の少ない時代に
紙芝居はシアターだった

拍子木の音はもう聞こえない
しかし
思い出の拍子木は
心の中で
いつまでも止むことはない

kenhappy1 at 02:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 郷愁 

2004年09月30日

自然が消えて行く!

3a02d1b8.jpgプロフィールの趣味に書かなかったが、釣りも大変好きである。行きたくなったときには1人でも泊りがけで出掛けたものだ。
私の釣りの原点は父とのハゼ釣りである。幼き日の長閑な情景として心に焼き付いている。
幼き頃の住まいから、そう遠くないところに海があり、干潟があった。干潮時は完全に海水が引いてしまい、カニやゴカイなどが蠢いていた。その子ガニやゴカイを捕ってハゼ釣りの餌とした。

引き潮から満ち潮に動くときが釣り時となる。陸地となっていた干潟が時間とともに海水に満たされて行く。
3本繋ぎの2間半の竹ざおにテグスと錘、ハリスを付けただけのシンプルな仕掛けである。それに干潟で捕ったゴカイや子ガニを付けて底釣りする。グググゥといっきに竿を絞る手ごたえ。堪らない感触である。力任せに竿を上げると20Cmくらいのダボハゼが勢いよくあがってくる。
40年以上前、遠い日の幼き夢の情景である。
今はと言えば・・・・!夢の干潟はもう影も形もない。
外海から数百メーターしか離れていない、古の干潟には、新興住宅が甍を並べている。私には奇異に思えてならない。いくら狭い日本とはいえ、地盤の弱い干潟を埋め立てて家を作ることはあるまいに!寄せては返す波のように、干満の潮の織り成す造形美をいつまでも愛で、そしてそこに遊べるなら今生の幸せである。時として人間はどうしようもない過ちを経済効果のもとに正当化し実行してしまう。恐ろしいことである。
40年前の幼き夢の情景は2度と帰らない!
「バカヤロウ..........!」

kenhappy1 at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 郷愁 

2004年09月29日

双子のパラドックス!

f6f884f7.jpg双子のパラドックスという言葉を聞いたことがあるだろうか?もし光と同じ速度で宇宙を旅することができたなら?誰もが一度は夢として思うことかもしれない。しかし、現実の世界として、もし光速で本当に旅することができたなら、大変なことになる。

時間のローレンツ収縮というのだが、もし、ここに双子がいて、その一人だけが光速の宇宙船に乗って壮大な宇宙の旅に出たとしよう。25年もすれば銀河系の中心部まで行くことができる。実際は、中心部までの半分の距離で減速を開始しないと中心部て停止することはできない。この場合は、ただ通過することになる。仮に往復50年で地球に帰ってきたとしよう。その時は地球で待っているはずの双子の兄弟の一人は、この世にいないし、地球があるかどうかも定かではない。たった50年が地球の時間では途方もない時間が経過している。何年が経過した、ということまで計算で出すことができる。これはSFでも夢物語でもない。学問的に立証されていることである。その根本にはアインシュタインの相対性理論がある。もっとも現在、光速で動くことのできるものはないし、光速を超えることもできない。そういう意味では夢物語かもしれない。
人間が作り出したもので最も速く動き続けているのはボイジャー宇宙船である。現在は太陽系の外に出ようとしている。木星の衛星イオの火山を発見したり、外惑星には総じて環があることを発見したりとその功績は大である。秒速30Kmで広大な宇宙を現在も旅している。
双子のパラドックスの光速宇宙船に乗る片割れは、夢の世界の若さ溢れる自分で、それを客観的に見ている、もう一人の自分は、それを欲する歳老いた現実の自分である。


kenhappy1 at 19:05|PermalinkComments(1)TrackBack(0) コスモス 

2004年09月28日

技術革新!

パソコン関連製品以外は、あまり物を買っていないが、最近これまで使用していたステレオコンポ、シェイバーがどちらも15年くらい使っていてガタがきたので買い替えた。15年前の製品に比べて、技術革新の素晴らしさには驚く。シェイバーの剃り味はあくまでも優しく、それでいて切れ味は鋭く、手入れは水洗いでいとも簡単ときています。剃るときのタッチがまったく違うのです。機関車

ステレオはミニコンポ、小さく凝縮されてはいますが音は凝縮されてはおらず音質は落ちていません。
メーカーの努力が目に見えます。
当たり前といえば当たり前のことかもしれません。15年を経ていて、前と同じならとっくに倒産していることでしょう!
車も最近替えました。2500ccの大型車に乗っていたのですが、絶対値では約半分の動力性能の小型車に替えたのです。しかし、半分の能力と感じたことは1度もありません。2000ccにもまけない加速力です。CVTという無段変速機が開発されて、どの速度域からでも加速がききます。乗り味がこれまでの車の概念とはまったく違うのです。
技術革新の凄さには驚かされます。
さて、私はこの15年でどれだけの変革ができたのか?
とてもとても電化製品や自動車には適わないな!と思います!(笑)人間を変革するということは並大抵のことではダメですね。そこには物にはないプライドがあるからです。それが邪魔して変革を素直に受け入れられない悲しさを持っています。この自我と共存して何とか生きて行かなければなりません。難儀なことです!

kenhappy1 at 18:27|PermalinkComments(0) 徒然なるままに 

図書館!

79e612cc.jpgたまにではあるが、県図書館に行く。車で15分程度のところにあるのだ。レストラン付の大変大きな、また環境の良い、きれいな建物である。1階はビデオ、CD、レコードが置いてあり、それらを鑑賞できる機材完備の完全に閉じてはいないが2人掛けのボックスが並んでいる。そのボックスにいつも目をやるのだが、殆どがシニアの方々である。

デイサービス紛いになるが、図書館が本来の目的以外に貢献しているように見えて、何となく面白い現象に思える。この方々の安らかな居場所がきっと家にはないのだろうな、と想像してしまうのである。積極的に邪魔にしているわけではないと思うが、シニアの方が、きっと気を使って家を空け、この図書館で時間をつぶしているように思えてならないのだ。
冷暖房完備、水も飲めるし、食事はレストランを使えば、閉館までいても困らない。置いてあるビデオやCDは、シニアが懐かしく見たり聴いたりできる、例えば一昔前の時代劇であったり、美空ひばりのCDであったりするのだ。高齢化社会が図書館にも反映している。
因みにCD、レコードで一番多いのはクラシックである。
私は、クラシックのCDを借りてくる。2枚まで3週間は借りられる。本は5冊までである。クラシックは殆どそろっている。これはありがたいことだ。10代からクラシックが好きで、18歳くらいまで小遣いを貯めてレコードを買ったものである。かなりの枚数を持っているが、当時このような図書館とパソコンがあったなら、レコードを買うことなど必要なかったのに!(笑)今の若者は恵まれているなぁ、と本当はしてはいけないことを前提にして思った。
何のことはない、CD−Rに焼けば良いのである。あくまで自分が楽しむためのものであるとの条件がつく。
今のCDではないので、コピー防止機能は皆無である。いわば録り放題ということになる。
現在のパソコンはストレージ、大容量時代である。私の自宅のパソコンには4台合計400GBのハードディスクがある。ドライブはDVD+-R、RW、+R2層書込み対応、+-R×8倍速である。2時間の映画をDVDメディアに焼くのに7分程度である。某衛星放送の映画専門チャンネルを契約しているので、映画は毎日見ることができるし、ハードディスク録画してDVD化も容易である。たちまち個人のDVD映画コレクションができてしまう。DVDメディアは、通常の量販店で買うとまだまだ高く、4倍速(2時間の映画を焼くのに15分くらいかかる)10枚セットで1500〜2000円くらいである。2層対応(4時間の映画を焼ける)は1枚で1300円以上する。しかし、秋葉原直結店で買うと8倍速対応で相場によるが、1枚60〜90円で買えるのである。使用したが品質はまったく問題なかった。
このメディアを使って、映画をDVD化している。
今日はリサイクルショップに行ってみた。DVDも売っていた。私がDVD化したものが結構あったが、2000円から3000円だった。
CDにしろDVDにしろ、アーティストは大変だな、とつくづく思った。この思いは自分がやっていることと矛盾する。どうかお許しを!!

kenhappy1 at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 芸術 

2004年09月26日

歌声喫茶 & カラオケ

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カラオケで初めて歌ったのはいつのことだろう。社会人になって1年後くらいだったと思う。昭和52年頃か?当然、今のような通信カラオケではない。テープである。出現してすぐに爆発的に流行り始めた。私の社会人最初の赴任地は北の盛岡で、当時の夜の酒場では、毎日カラオケ大会が行われていた。社会人になりたてであったが、よく歌いに(飲みに)行った。大会に参加し、入選すると必ずボトルが賞品としてついていたからである。あっちの店、こっちの店とボトルを調達し、低予算で飲むことがしばしばだった。18番は「積木の部屋」である。確か1970年の布施明の楽曲である。流行った頃は、まだ私は高校生であったが社会人になってから歌うようになった。布施の曲は好きである。音域が私に合っている。「霧の摩周湖」「恋」「シクラメンのかおり」等々。
当然、カラオケの普及とともに「歌声喫茶」や「ライブハウス」は廃れて行く。「歌声喫茶」には、ひどく通った。

「歌声喫茶」この懐かしい響きの4文字熟語を皆さんはご存知だろうか?カラオケがまだ世にでていない昭和45年から50年頃まで隆盛を極めた、正に歌を歌うための喫茶店(夜は酒も飲めたのでスナックに近いか?)である。生のアコーディオンにリズムボックスが「歌声喫茶」のシンボルで伴奏手段である。そこで歌われる歌は流行歌ではない。ロシア民謡であり、反戦歌であり、地域に密着した歌であり、また永く歌い継がれてきた歌である。フォークソングもレパートリーとなり得た。私が「歌声喫茶」に通い始めたのは、高校3年生の時である。当時、小椋佳の精神世界に深く傾倒していた私の18番は、「潮騒の詩」や「さらば青春」等の小椋佳メドレーであった。勿論「ロシア民謡」や「シャンソン」も歌ったし、「琵琶湖周航の唄」や「知床旅情」もまだ流行る前からよく歌っていた。
仙台の有名な「歌声喫茶」は「若人」と言った。「青葉城恋歌」でみなさんご存知の「さとう宗幸」が歌声のリーダーをしていた。
東京には、新宿に「ともしび」が、京都には、四条に「炎」があった。学生時代にギターを持って「歌声喫茶」巡りをしたことがある。オリジナルソングを歌わせていただいた。もう30年以上前の話である。今もネットから詩をいただいて作曲をするが、この当時の感性をそのまま持ち続けている。化石みたいなもので良いのか悪いのか私には分からない。

kenhappy1 at 02:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 芸術 

2004年09月25日

似て非なるもの、呪縛、洗脳?

1a52c6eb.jpg似て非なるものに頭を悩ましている。
悩ましているというよりも腹を立てていると言った方がよいかもしれない。
それも2年連続である。
他人に言えば、そんなことで腹を立ててるの、と斬って捨てられそうで、まだ誰にもこの思いは話してはいない。
昨年は、1600年の関が原の戦いが終わったばかりの動乱の世の剣豪の物語、今年は江戸末期、幕末から明治にかけての動乱の世に命を燃やした下級武士集団の物語についての考察である。

NHK大河ドラマの話である。
「小説と映画」でも述べたが、原作を読み知ってから見る映像に物足りなさを感じるのはいたし方ないとしても、昨年と今年の「宮本武蔵・新撰組」を見て思うことは、原作と「似て非なるもの」ならまだ許せるが、私にはまったく別物に思えてならないのだ。
どちらの原作にも、尊厳とも言うべき際立った人格があり、一途な武士道が尊厳に重さを加重している。「宮本武蔵」は原作と「似て非なるもの」、「小説と映画」で述べた違いで良いかも知れない。しかし、とても見る気にはなれなかった。一言でいうなら重さがなく軽いのだ。あらすじはかなり違っていたが、それだけのことで腹は立たない。
「新撰組」に至っては、まったくもって軽いのである。動乱の世の命をかけて意思を貫こうとする顔ではないのだ。どう見ても今のこの世の平和ボケした10代、20代と変わらない安穏とした顔が溢れている。(今のそういう若者が悪いと言っているのではありません。悪しからず)それは現代の若者が配役を演じているからではない。良く解釈するなら、これまでの原作そのものの既成概念を打ち破ろうとする製作者の意図を感じるのだ。それが不快感を増幅させている。
なぜなら、しっかりと加重された尊厳の基の際立った人格が物語を決定していると信じているからだ。
宮本武蔵も近藤勇も土方歳三も沖田総司も原作とはまったく違う人物である。
しかし、である。これこそが呪縛や洗脳そのもであったなら、製作者の意図は歓迎すべきことかもしれないと、おかしなことを思い始めた。そこに頭を悩まし、腹を立てる真の原因があるのだろう?実際にその時代をこの目で見、肌で感じたわけではなく、実際はどうであったのかはわからないのだから。
原作者はきっちりとした取材を基に原作を書いたに相違ない。それはすんなりと私の心を捉えて離さない魅力がある。私のというより、日本人のと置き換えてもよいのではないか?「宮本武蔵も新撰組」もこれまで幾度となく映像化されており、それらは原作に添う人格を与えられしっかりと加重された主人公が生きていた。それは原作とは違和感なく、見ていて心地よいのである。
結局は、自分の意に沿わないのなら、単純に見なければよいのだ。ただそれだけのことだ。
意に沿わないときに、製作者の意図など考える必要などない。
自由な発想があっていい。

「見ないぞ、決して見ないぞ、そんなもの!」

kenhappy1 at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 芸術 

2004年09月24日

果て!

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果てとはどういうものなのだろう!
誰もが一度は思うことではなかろうか。
見ることができるものなのか?
見ることができないから果てなのか?
単なる想像が生み出した幻想なのか?
理解できているようでわからない、無限と同じような不思議な概念である。
そんな思いを「詩」に現してみた。
ご覧あれ!

果てを見てみたい

宇宙の果て
心の果て

そもそも果てとは想念にすぎない

地球儀の上を歩くように
宇宙には果てなどない
中心も果ても
特別な場所など
一切ない世界である

有限の宇宙にあって
無限の広がりを感じさせるほど
宇宙とは計り知れない存在である
その次元に捕らえられている限り
果てを見ることはできない

心に果てはあるのか
心は生あるものの証であり
生が有限である以上
果ては存在する

しかし見ることはできない
果ては死に他ならず
自分の心の果てを
朽ち果てた屍として
第三者が見ている

物事の深淵は
見るものではなく
想うものである
想いに果てなどなく
それを超えて
深淵に落ちることなど
あり得ない

恐れず果てを追求し
果ての淵に立って
深みを覗くがいい

ロマン溢れる宇宙も
想い溢れる心も

すべて自分自信の
想念が創造した
掌の世界であることに
驚くだろう


kenhappy1 at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) コスモス 

何年経ってもオリジナル!

419ebf15.jpg何年経ってもオリジナルソングを聴くとα波で満たされる。
自分で創った曲なので、ごく自然なことである。
38年前になる。その頃、人気絶頂の若大将=加山雄三=に憧れていたが、私のシンガーソングライターの手本は彼である。その頃は「自作自演」でシンガーソングライターなるハイカラな言い方はなかった。

ネットで30曲くらい私のオリジナルソングを聴くことができる。
インディーズのために、無料で無制限のデータ領域を貸してくれるサイトが複数あるのだ。私のような者には大変有難いことである。30曲で150MBくらいにはなっていると思う。ファイル形式はMP3である。WAVEファイルの1/10くらいの容量で、それほど音質を落とさずにデータ化できる。それでも1分1MBくらいはかかる勘定だ。
お暇な方がおられたら聴いてみていただきたい!(笑)

オリジナルソング

最近は、我が家では音出しご法度になっている。近所迷惑になるので止めてくれ、との家内のたっての要望なので仕方ない、すべてはヘッドホンで済む機材で作曲をしているので、生の楽器を弾くことは殆どなくなってしまった。もはやギターも弾けないのではないかと、かなり心配している。50曲くらいある中の8割くらいはギターで作曲している。御茶ノ水から神保町に行く途中の楽器店で、12,000円で買ったギターで、今も現役(押入れに入ったまま)である。現在はDTM、コンピューターミュージックで作曲する。入力は楽譜、音符である。
最近は音符入力などする人は少なくなったのではないか?と思う。携帯できるデジタルレコーダーが安く買えるので、良いフレーズが浮かんだら時間と場所に関係なく録音しておけば良いのである。そういう意味で、誰もが作曲できる時代でもあるのだ。
昔はそんなものはないので、楽譜に残しておかないと、忘れてしまい再現ができないことになる。私は楽譜が書けたから、何年経っても作曲した当時のままで再現ができるのである。しかし原則は楽譜など書けなくとも良いのだ。重要なのは感性なのだから。
80分のCD−R2枚に40曲くらい焼いてある。
それを1ヶ月に1回くらいじっくり聴いてα波で満たすのである。
自己満足以外の何物でもないが!


kenhappy1 at 03:40|PermalinkComments(0) オリジナルソング 

2004 Sept.23 AM 2:00 愛犬happy ここに永眠! 9/23

c0780c56.jpg17年前、子供のいない我々夫婦は雄のビーグルを家族の一員とした。ron(ロン)と名付けた。とても凛々しいクロ、シロとタンの代表的なビーグルの毛色だった。1ヶ月も経たないうちに1匹では可哀想と雌のビーグルを求めにronを生み出した同じブリーダーを訪ねた。売れ残りが1匹だけあるとのこと。なるほど、ずんぐりとしており、ずしっと重く色は尻尾の先がシロを除けばほとんどクロに近かった。ブスだが私には愛らしく見えた。さっそく頂いて来る。happy(ハピー)と名付けた。

最初はゲージに入れておいたが、一緒にいれたダンボールの上に乗っかってすぐに脱走してしまう。快活な子だった。数週間、脱走犬の面倒をみるために私が同じ部屋に寝る嵌めになった。
ronは2ヶ月年上で、幼犬の2ヶ月違いは差が大きい。体も倍違っていた。
happyの快活さは半端ではない。ronが階段を上れないでいるときに、スイスイと上ってしまう。ronは階段の下で恨めしそうによく眺めていた。
6ヶ月が過ぎたころには、もう2匹とも大人の体形である。
今住んでいる団地ができたばかりの頃である。春には山菜が豊富に採れた山間の団地で、犬の運動会には事欠かなかった。曲がりなりにも猟犬である。野っパラを垂れ耳をはためかせて駆け巡り、獲物を追いかける。遠くで見ていると獲物を追い詰め、獲物は垂直の木に3メーターほど登った。よっぽど追い詰められたのだろう。近寄ってみると、それは猫だった。ドジな猟犬である。
よく家内とron、happyとで「かくれんぼ」をしたものである。リードなしで自由に飛び跳ねていたころである。2匹が好きに飛び跳ねているときに、こちらは物陰に実を潜める。そうすると、どこ行ったと一生懸命に探すのである。人間の何万倍の嗅覚の持ち主である。すぐに見つかってしまうのだが、楽しいひと時だった。
ronとhappyは夫婦であるが、対等ではない。happyは女王様で、ronはじっと我慢のお目付け役みたいな関係だった。外で怪しげな動きがあるようなときは、まずronが真っ先に番犬の勤めを果たすかのよう庭に飛び出して行く。happyはronが安全を確認してから後ろからついて行くのである。happyはちゃっかり者である。何をするにもronはhappyの後である。おやつをいただくのも我々の愛情を受けるのも、じっとhappyの後ろで我慢して待っていた。ronは決して弱くはないのだが、happy
には寛容だった。
ronは我々といるときでもプライドを捨てきれず我を主張するところがあった。happyはちゃっかり者、可愛がられ方を知っているのである。
ronは我々が出かけ留守番をするときは2階のバルコニーから、何時間でも我々の帰りを待っている犬だった。happyはronがいるので我関せずと寝て待つような、面白い犬だった。
それでいて、我々が帰ってくると真っ先に出迎えるのがhappyである。何かにつけ要領が良いのである。
ronは12歳で、この世を去った。最後までhappyの後ろで我慢している意地らしい犬だったが、他の犬に対しては威厳があり、こちらから吼えることなど一度もなかった。
ronが亡くなってhappyは伴侶を失い、すっかり心身症になってしまった。
暗いところへ行きたがり、そこにごろっと横たわったまま動かなくなってしまう。そんなことがしばらく続いた。
もうダメかとも思った。しかし日数が解決してくれた。犬も人間も同じことである。
happyはronの死後、すっかり甘えん坊の犬になってしまった。これまでは我々がいなくともronがいたので、安心して寝て待てたのが、悲しく鳴いて留守番ができなくなってしまった。それ以来、私か家内のどちらかが家にいることになった。手間のかかる犬になってしまったのだ。もともと1匹で育てたら、このような犬だったのかもしれない。
ronの子供も13匹産んだ。犬舎号は「kenhappy」である。13匹の子供には血統書にすべて「kenhappy」がついている。「ken of kenhappy」のように。通常は産まれた順番にAから名付けなければならないのだが、皮肉れものの私はKから名付けたのである。2度目はJから名付けた。それでも問題はおきなかった。
happyは17年頑張った。何も言うことはない。ただただこれまで有り難う、である。前にも書いたが、我々夫婦の諍いの種をいくつ食べてくれたかわからない。子は鎹、犬も鎹である。
ronのお骨は家にある。やっとhappyと一緒になれる。懇ろに葬ってやりたい。
ronとhappyから学んだことは、人間のもっている心のすべてを犬ももっているということである。そして老いること。人間の縮図を見たのである。
自分がどうなるか、それをまざまざと知ったということである。
家内の懐で看取られたhappyは幸せである。我々夫婦を看取る人間は間違いなく他人となる。
それで良いのだが、いつの日か寝て目覚めなかった、というのが望みである。

kenhappy1 at 00:48|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 愛犬happy 

宇宙のロマン 9/22

6d9d48de.jpg1996年の12月にアメリカコーネル大学の天文学者カールセーガン博士が亡くなった。とても残念だった。幼い頃から、私は天文が好きだったが、カールセーガン博士の「コスモス」を読んで、いっそう天文学に興味を持ち、またますます好きになった。今でも、宇宙を再認識したい時には、このコスモスを寝る前に読む。そうすると心が落ち着くのである。「コスモス」は1978年だったと思うが、カールセーガン博士自らの出演で、テレビシリーズとして放映された。きっと覚えておられる方もいることだろう。今日は、その「コスモス」の中から、ドレイクの方程式というのをご紹介しよう。
皆さんは、この宇宙に我々人間と同じ知的生物のすむ惑星がいくつあるだろうか?と考えたことはないだろうか。そう考えることはごく自然なことであり、宇宙へのロマンを増幅させる。

知的生物の文明社会の数がいくつあるか?という数「N」は、おおまかに推定することができる。それぞれの因子を考えてみよう。
N*=銀河系のなかの恒星の数、fp=惑星系を持つ恒星の割合、ne=ある特定の惑星系の中で生物の存在し得る生態学的環境を持つ惑星の割合、fl=適当な環境を持つ惑星の中で実際に生物が誕生した惑星の割合、fi=生物の住む惑星の中で知的生物のいる惑星の割合、fc=知的生物の住んでいる惑星の中で、通信技術を持つ文明人のいる惑星の割合、fL=その惑星の寿命のなかで技術的文明人の存在する期間の割合、これらをまとめると、N=N*×fp×ne×fl×fi×fc×fLとなる。このうち「f」はすべて0〜1の間の少数で、N*の大きな数を減らして行く。できるだけ否定的な要素を集め、消去法で消して行く!詳細な分析は多義にわたっており、ここで説明することは無理であるが、それぞれの因子の説明は大変興味深い!結局否定的要素を集めて式にあてはめると、最後には我々と同じような文明を有し、いま現在存在する惑星は10個はあるだろう。と結論付けられる。それはごく自然なことで、この宇宙の中で、地球だけが特別な存在でありえるはずはないのだから!このことについて詳しくお知りになりたい方は、朝日新聞社発行の「コスモス」上下巻をお読みいただきたい!「ザ・ギャラクシー=我々の銀河系」の中に10個も我々と同じような文明を持つ惑星がある、と思うだけでも魅力あることである。「ザ」を取り去ったただの「ギャラクシー」は我々太陽系の属する銀河系外の銀河(例えばアンドロメダ銀河)をいう。正に宇宙は広大である。


kenhappy1 at 00:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) コスモス 

小説と映画 9/22

皆さんは、原作を本で読んでから、その映画なりテレビを見たことがきっとあるでしょう。どうでしょうか、その内容に満足できましたか?
私は何本かそのような映画を見ていますが満足できたことは一度もないのです。原作が素晴らしく、映画が劣るというようなことではないのです。
読んだ文章には10人十色の想像力が働いています。原作の中に10人十色の物語があるということを意味します。それに対して映像は直接的であり、ひとつの物語が厳然として存在しています。そういう意味で映画は小説を超えることはできないと私は思っています。原作に対して映画は物足りなさを感じてしまう。特性上、仕方のないことです。
そんなことを題材に「詩」を書いてみましたのでご紹介します!
hana

小説と映画は
どこがどう違うのだろうか

小説は間接的であり
映画は直接的である

映画は目で見てストレートに感じているが
小説は読んで想像力で感じている

原作を知らずして見る映画は
感動そのものであるが
原作を既に読み知っている映画には
言い知れぬ物足りなさを感じてしまう
それだけ小説には
逞しい想像力が働いている

人間の想像力は無限である
故に一人一人が描く想像の世界は
10人十色であり
読手の数だけの
想像で膨らんだ物語があるのだ
そういう意味で
映画は小説を超えることはできない

極端な言い方をすれば
映画には一つのはっきりとした物語しかないのだ

映像とは想像力を奪ってしまうほど強烈なものである
それだけ作品の善し悪しがストレートに出てしまう
製作者にとってはきっとそれが大変な恐怖なのだ

小説も映画も
人間に感動を与える芸術であり
もとより優劣があるわけではない

いずれも人間が創り出した
心の叫びである


kenhappy1 at 00:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 芸術 

命幾ばくもなく 9/21

ea5eaa7a.JPG我が家には17歳のおばあちゃん犬、happy(ハピー)がいる。前の記事に付けた写真で抱いているのは12歳で亡くなったhappyの連れ添いron(ロン)である。5年近く長生きをしているが、もはや命は幾ばくもない。右の頚部に人間の拳よりも大きな腫瘍ができていて、食べることができない状態になっているからだ。
不安なのだろう、家内の側を片時も離れずにいる。


17年も一緒にいるので可愛いのは当たり前なのだが、体が動かない状態になっても自分の務めを果たそうと必死になる姿に涙が流れてしまう。私と家内の諍いの種を食べるのが彼女の仕事である。私が家内と話をするときは、必ず私の体に尻をあて、家内に顔を向けて「喧嘩」はするなよと、尻と目で言うのである。これまでいくつの種を食べてくれたか知れない。憎めない可愛いやつなのだ。
これまで何度か病気もし、命の危機もあったが、乗り越えてきた。
しかし、今度だけはもう諦めざるを得ない。とても悲しいことである。
ただ安らかに逝ってくれと祈るばかりだ。12キロあった体重も今や5キロまで落ち、骨と皮になりつつある。
立つ歩くがしんどく、立ってもすぐ倒れてしまう。水を飲んでは吐くを繰り返している状態である。食べ物はもう口にはできない。
歳をとるということは大変なことである。このhappyを見れば、自分の20年後、30年後が見えてくる。人間の縮図そのものである。
そのとき自分はどう生きるのか?
それはそう遠くない未来である。

kenhappy1 at 00:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 愛犬happy 

PCでオールナイト、映画を2本見た 9/20

dafe0fa6.jpg昨夜は未明から映画を2本見た。
PCでのオールナイトである。
PCビデオカードSビデオ端子接続のCSチューナー経由での某衛星放送映画専門チャンネルである。それを更にPC内蔵のTVキャプチャーカード経由でHDD録画、その後DVD作成と、今流行のストレージ、大容量化PCの最近の代表的な使い方である。
見たのは、ジェニファー・ロペスの「メイド・イン・マンハッタン」「イナフ」である。対照的な映画だが彼女の魅力満載の2本だ。

もう何年も映画館に足を運んでの鑑賞はしていない。大画面は望めないが、PCでの独り鑑賞も乙なものである。ディスプレイが17インチ液晶なのを除けば、映像も音響も一流であり、他人を気にすることなく没頭できる良さがある。音源はPC接続のDTM用のRoland SC−D70、それをPC接続のオンキョーのミニコンからOUTPUTしている。惜しむらくはスピーカーから音が聴けないことである。昨今の団地は音だしご法度、聞こえてくるのは幼い子供の喧騒だけである。という訳でヘッドホンでの鑑賞となる。ここのところ毎日1本は映画を見ている勘定だ。それをすべてDVD化していて、個人で楽しむための映画コレクションが出来上がってしまう。HDD録音用のHDDの容量は160GBあるが、20本も録画すればはや容量が赤信号。録画ファイルを溜めておくことは儘ならない。それでも、仕事がパソコン教育関連なので、ハードは強力化していて、HDDは4台400GBの容量があるので、まだ大丈夫ではあるのだが!
この映画の感想は後に譲るとして、最近見た映画の感想を2本分、詩風にまとめたのでご紹介しておきます。

映画を見た

愛も自然も
憎しみもアクシヨンも

スクリーンと私の間に
虚像と実像の
確たる隔たりをもった
世界が見える

しかし
どうして感動し涙するのか
現実とはかけ離れているはずなのに
身近で起こったことのように
全身が反応してしまう

夕焼けに覆い尽くされた
大海原を翔けるヨットに

その中で激しく求める
男と女に

やがて別れる切なさに

自分には
絶対に当て嵌まらない
情景を見つつ

虚像と認めて
尚且つ全身の震えを
禁じ得ないこの感動は何だ

人間は誰しも
侭にならない世界があり
努力の上に生きている

努力を超えた
夢を見たとき
現実を忘れ感動がある

超えられない
現実の向こうにある
生きている夢の証を
映画に見ている


ちょっと切ない映画を見た
愛し合う者たちが運命により引き裂かれる物語である

彼は飛行機事故により海に墜落
命からがら無人島に漂着した
彼女からもらった写真入の懐中時計
その写真を毎日眺めながら
彼女に会いたさ故に必死に生きた

孤独は恐ろしく人間を疲弊させる
一緒に漂着したバレーボールに
自分の血で顔を描き
ウイルソンと名付け友とした
毎日彼に語りかけることで孤独を癒した
何度も失敗しながら摩擦熱で火を得た
早4年もの歳月が過ぎた

島の周りには大波が発生し
ちゃちなゴムボートでは沖に出ることはできない
ある日のこと帆に使えそうな壊れた部材が漂着する
苦労し脱出用の筏を作った

風が出る季節を待ち
大波を克服し意気揚々と航海に出た
容赦なく嵐が襲う
ウイルソンが流される
助けようにも無理である
彼の名を何度も叫び
バレーボールに親友を失ったようにさめざめと泣いた

出発地点から500マイル流され
やっと貨物船に拾われた

愛しい人はどうしているだろう
身なりを整え風貌は4年前と同じになった
友人が生還を祝う宴を催し
彼女との再開のお膳立てを整えた
しかし彼の前に現れたのは
以前に彼の歯を治療した歯科医だった
「彼女は混乱している」
「君の葬式もし墓もあるのだ」
「その君が突然蘇ったのだから」
「彼女は今私の妻なのだ」
彼は呆然と立ち尽くすだけだった
しかし恨む気持ちなどさらさらない
深く彼女を愛しているだけだ

彼は懐中時計を握り締め
雨の夜半に車を彼女のもとへ走らせた
彼女は車の音を聞きつけ
彼が扉を開ける前に部屋に招き入れる

「壊れてしまったがこの懐中時計を返しにきた」
「あなたにあげたものよ」
「君のおじいさんのものをいただいたのだから君が持つべだ」
「そんなこと気にしなくていいのよ」
女の子の写真を見ながらつぶやく
「可愛い子供だね一人じゃなくもっと産むべきだよ」
「家のローンが大変でまだ無理よ それより見せたいものがあるは」
ガレージに行く
そこには墜落する飛行機に乗るために空港まで送った
二人の車があった
「あなたの車よ 忘れられない二人の思い出が一杯詰まっているわ」
「乗って帰ってもいいのかい 乗ってきたタクシーはもう行ってしまったし」
「ええいいわ キーよ」
彼は雨の中 車をガレージから走らせた

視界から消え去ろうとするとき
彼女は何度も何度も彼の名を叫び
走って車を追いかける
彼が気づき車を止める
強く抱き合いキスをする
「誰よりも愛しているよ」
彼が言う
「私もよ」
彼女が応える
彼は彼女を車に乗せて言う
「家に帰りなさい」
彼女は頷いた

儘にならない悲しさはあっても
深い愛が脈々と流れていた
肉体を超えた永久の愛である



kenhappy1 at 00:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 芸術