470f7aac.JPG原油の価格がバカ高である。1バレル(樽)50ドルくらいだろうか?
原油自体は潤沢にあるのに、なぜ高騰しているのか?
このデフレスパイラルの最中に必需品の高騰は死活問題である。どこかで市場操作をしているに違いない。需給のバランスを故意に崩しているのだ。
国内的には度重なる台風の影響で原油備蓄が減っていることも高騰要因のひとつのようだ。

しかしリッター130円台の価格は、昭和49年から50年代初期にかけての石油危機以来、経験したことがない。
その頃は、高度成長時代で、狂乱物価だったが、賃金も上がった時代である。今のお金が回らない(動かない)時代とはまったく状況が違う。その中での130円台、これは日本経済危うし、と思った方が良い。
お金の回らないデフレ時代だが、比較的物価は安定していたから、何とか生活もできている。お金が回らなければ当然、買い控え、貯蓄に回り、物価は凍結か下落する。そのかわり停滞経済から脱することができない。悪循環が続くのだ。
石油からできている商品はけっこうあって、それらも上がっている。身近に感じるのは紙の価格だ。パソコンには紙が付き物、プリンターがなければパソコンのメリットは半減してしまうが、そのプリンター用紙が100円くらい上がっている。毎日使うので痛い。ここまできたら政府が何とか対策を取らないといけないが、何のアナウンスも聞こえてこない。故意に避けているとしか思えない。困ったものだ。
景気が良くなってくれないことには、生活も良くならない。デフレスパイラルで、全体的には物価は下落していて、日常生活にはそれほど困らない状況だが、だからといって、例えば住宅ローンの支払い額が安くなるわけではないし、リストラで給料は下がっているのが普通の世の中で、家計への圧迫はかなりのものとなる。また必需品に対しての趣味的商品の価格は高値安定といったところで、安くなってはいない。自動車がいい例だ(もう日本では自動車は必需品かもしれないが)。軽自動車でも100万円ないと満足の行くものは買えない。一般大衆車では150万円がひとつの目安となる。3ナンバーであれば250〜300万円はするところだ。それが年間500万台から売れているのも事実である。中古車も含めれば合わせて1500万台以上が売れている。しかし、これだけでは、日本の屋台骨を支えるにはぜんぜん足りないのだ。買うべき目的がはっきりしていて余計なものは買わない、国民の購買に対するスタンスがデフレを促す方に変わってしまった。バブル期のように、新製品を次から次へと買い換えるようなことは、今は夢のまた夢になっている。家電など、もはやテレビのごとく必需品に近いものは壊れるまで買うことはない。また製品が良くなっているので、テレビに限らず、これがよく長持ちする。耐久消費財の役目を良く果たすので、この分野での貨幣の流通はそれほど望めないのだ。しかし、車を買えるほどの貯蓄があるのも事実である。それをいかに日常的に引き出すかは、日本経済の活性化がなくてはできないことなのだ。サラリーマンにとって、会社がどうなるかわからないのに、消費ができるわけもなく、会社は消費者の財布の紐が閉じたままでは働く者の給料が払えない、という相互に悪循環となっている。ちょっと考え方を変えないといけない。PCはちょっとおもしろい。必ずしも完成品を買う必要はないのだ。パーツを寄せ集めることによってひとつの製品となる。当たり前の話のように聞こえるかもしれないが、これは他の製品にはあまりないことなのだ。PCはマザーボード、CPU,メモリー、HDD、DVD、CDなどをシャーシーに取り付けて、マザーボードと結線すれば完成品として動いてくれる。CPUやマザーボードの世代交代があれば、その部分だけを買い換えれば、簡単にグレイドUPが可能となる。完成品の1/10の金額でできてしまう。こういったように、完成品だけを買い、それがダメになれば、また完成品を買う、というのではなく、パーツごとに取替えが可能なら、もっと頻繁にグレイドUPのための消費がうまれるのではないか?と思うのだが。ダメになったところだけを取り替える、あるいはグレイドUPのためにある部分だけを取り替える、そいう消費なら懐がそれほど痛まない。大事なのは1億総消費の時代にちょっとは戻さなければならないのだから!