1995年3月30日に、当時の国松孝次警察庁長官が荒川区南千住のマンションから出勤するところを拳銃で狙撃され3発の銃弾を被弾しました。

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その年はオーム真理教の強制捜査が3月28日に行われたり、その原因となった地下鉄サリン事件が起きた激動の時代背景があります。

オームの犯行が濃圧と思われ、警視庁公安部が警察の威信をかけて捜査にあたりました。

しかし、立件することが出来ず、2010年に時効を迎えることとなりました。
立件できなかったにも関わらず、オームの犯行であったと時効の記者会見で警視庁担当官が述べています。

話はそれますが、国松孝次氏には思い入れがあります。
それは1972年の2月に起こった連合赤軍あさま山荘事件です。
今は亡き佐々敦之氏らとともに幕僚団の末席にいたのが当時の国松孝次氏でした。
そいうことがあり私の中ではとても印象に残った国松孝次警察庁長官の狙撃事件でした!

別の事件から発展して、警視庁刑事部捜査一課が真犯人を突き止めていました。
当時の捜査一課長は、「200%犯人という心証を持っている」と述べ、犯人しか知りえない秘密の暴露の裏付けも取り、証拠は万全で、犯人は特定されていたのです。

長官狙撃の準備行為、狙撃経緯、逃走経路などが供述と一致している。
銃を持ち運んだバッグが特定され、射撃残渣(銃を発砲したときの火薬や金属の残渣)が確認されている。
犯行に使った銃は既になかったが、供述により「コルトパイソンハンター」で、それを購入したのはアメリカのウェザー社ということも分かっている。

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使用された弾丸は、357マグナムホローポイント弾(被弾すると先端が潰れ、殺傷能力を増す)で、いわゆる9mm弾と特定できている。

その男は、1930年生まれで東大中退、殺人や強盗の前科のある「中村泰(ヒロシ)」という男で、教授にノーベル賞も取れる秀才と評されるほどの将来を有望視された男でした。

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しかし、学生運動にのめり込み、チェ・ゲバラに憧れて革命志向のテロリストと化して行きます。

折しもオーム真理教が松本サリン事件を起こし、そして極めつけの地下鉄サリン事件という未曽有のテロ事件を起こします。
中村は先を越されて面白くなかったのか、松本サリン事件を起こしたときにオームを止めていれば地下鉄サリンは防げたはず、と警察の怠慢が許せず、そのトップ、国松警察庁長官をターゲットにしたのでした。

射撃はアメリカで軍事訓練を受け、その腕前は警察の教官より上手い、と警察関係者に言わせるほどでした。

20m離れた地点から銃床の肩当を使い安定させてコルトパイソンを発射します。
実際は4発撃ちましたが、4発目は秘書官が長官を植込みの茂みに隠したので外れました。
3発被弾しても助かったのは奇跡的なことでしょう!

ANNの記者がこの中村泰と獄中間の手紙のやり取りを30通以上行っています。
その中で中村は、「私が長官狙撃実行者であることは絶対の真実」と手紙に書いています。

当時、公安部の威信をかけて、オームの犯行という思い込みの中、捜査が行われました。
公安部にとってはオーム以外に犯人がいてはいけないことなのでした。
本当にバカげたことです。
中村泰は犯行を自供しましたが、公安部が身内の保身に走って揉み消されたのです。

警察も官僚社会であることがこの事例でよく分かります。
事実よりも面子が大事、ということでしょう!
お粗末、お粗末!

2020年12月、この特ダネ放送当時、90歳になった中村泰は、岐阜刑務所で服役しています。

詳しくはANNの特ダネ番組をご覧ください!