早いもので3.11東日本大震災から9年になりました。
何度かこのブログにも書いていますが、3名の親戚が津波の犠牲になり亡くなっています。

1名は釜石近郊で、2名は陸前高田で亡くなりました。

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この鉄橋は、震災前に大船渡線の竹駒〜陸前高田間に掛かっていた気仙川鉄橋です。

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それが津波に飲まれ破壊されました。

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少なくても数年前まで、撤去されずに災害の傷跡を残しています。

家内の親戚2名は、この鉄橋の近くの自宅の玄関で亡くなっていました。

自分の身近な者が3名も亡くなったのですから、如何に3.11が大きな自然災害であったかが分かります。

私自身の生まれは、津波に襲われた岩手県宮古市ですが、育ちは仙台で海の近郊が故郷ではありません。
正確には、故郷がない転勤族の子供で、育った仙台が故郷ということができるでしょう!

仙台の地震の揺れは尋常ではなく、20数階の新築ビルの9階で仕事をしていましたが、200台あったパソコンが全台バタバタと倒れ、大きなキャビネットが大音響とともに全て倒れ、電気はバチバチ音を立ててショートし、少なくても1mは左右に振られました。
揺れの時間は、これまで体験した地震では考えられないほど異常に長く、この新築ビルも倒れてしまうだろうと一時は諦めました!

運よく、ビルは大丈夫で、すべての公共交通機関はストップし、自宅にどう帰るかが問題でした。
電話は通じず、考えていても埒が明かないので、歩いて帰ることを決断し、16:00頃から歩き始めます。

家までは10数キロあります。
この日は雪模様で、雪が激しく降る場面もありました。
とにかく黙々と歩き続けます!

途中、道路が盛り上がっていたり、電柱が傾いていたり、家が潰れていたりと、傷跡が目に見えていました。
電気がすべて止まっているので、途中のコンビニなどは真っ暗ですが、それでも営業しているところがありました。
お客は外まで並んでいます。
レジも使えないでしょうが、民衆のことを思っての営業です。

信号も止まっていますが、譲り合いながら車はノロノロと何とか動いています。

家に辿り着いたのは19:00頃で、仙台駅から3時間かかりました。
家も家内も無事で安心しました。
停電になったので、家内は機転を利かせて冷蔵庫に保管していた食材の殆どを使って、温かな料理を作っていました。

情報はラジオしかありません。
家ではワンセグは入りません。
ワンセグを見るには車で走らなければなりません。
ガソリンを温存しなければならないと思い車は使わないでいました。

4日目にやっと電気が復旧します。
そしてTVで津波の大被害を知ったのです。
地元が一番情報が得られないことを実感した次第です。

災害は忘れた頃にやって来ると言います。
武漢肺炎の新型コロナウイルスによる世界的感染も自然災害と言えるのではないでしょうか!

日本での感染判明者は、3月11日現在で567名です。
その内、99名が退院しています。
それを差し引けば468名が今現在の感染判明者ということができます。
死亡者は12名で率にすれば2%強です。

世界的に見れば決して多い数ではありませんが、如何に感染を食い止めるかが問題で、安倍総理の主導で様々な対策が取られています。

観客のいない大相撲、ちょっと異様ですが、TVで観戦できます。
プロ野球も開幕延期、高校野球は中止となり、Jリーグも自粛しています。
人が集まることは厳禁になっています。

国民は我慢が必要です。
安倍首相の決断は国民の命を守る一点での対策に違いありません。
私は支持します!
7月のオリンピックを成功させる意味でも、しっかりとした対策を講じなければなりません。
景気は、消費税導入と武漢肺炎で散々な状況です!
オリンピックが取り止めとなった場合のダメージは想像を絶するものとなるでしょう。
これだけは避けなければなりません。
その意味からも、4月末までには新たな武漢肺炎の発症者がなくなるように最大の対策を講じなければなりません!
大変難しいことですが、日本国民の英知を結集して必ず乗り切って欲しいと願っています!