「12歳までやってきたこと」として先日記事にしました。

今回は、中学校時代にやって来たことです。

中学1年生までは、小学校の延長で、相変わらず劣等生で、勉強は嫌いでした!(爆)
音楽に目覚めた時でもあります。
加山雄三、若大将が「君といつまでも」で歌手としてテレビに登場するのが、昭和40年(1965年)12月です。
一度聞いて若大将が大好きになりました。
初めてレコードを買ったのが「A面:君といつまでも、B面:夜空の星」のレコードでした。
330円でした。

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加山雄三が自作自演で歌っている歌だということも知りました。
この時代、シンガーソングライターという言葉はまだありません。
自作自演と言いました!(笑)

自分も作ってみたいという欲求がふつふつと湧いてきました!

この年、私の家にピアノが来ました。
私が欲しかった訳ではなく、兄の求めに応じて父が中古を買ってくれました。
最初のピアノは数ヶ月で弦が切れてしまい、再度求めることになりました。
次に来たピアノは、ワインレッドの鍵盤が象牙の見るからに素晴らしいピアノでした。
メーカーは今はなきホルーゲルです。

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私もピアノを弾いてみたいという欲求を押さえられなくなってきます。
「乙女の祈り」というポーランドの女流ピアニストが作曲したトレモロの印象的な美しいメロディーラインの曲があり、これに挑戦することになったのです!
中学1年生が終わる頃には立派に弾けるようになりました。
誰に教わったわけではありません。
100%独学で弾けるようになったのです。
ピアノを弾くようになって、作曲もするようになりました。
私の処女作は13歳の時です。

学校では、本当に劣等生で成績はまったくダメでしたが、どういう訳か学年の首席クラスの優等生に好かれました。
私の友達はみんな頭の良い人ばかりでした。
小学校でもそうでした。
自分では気づかない何かを持っていたのかもしれません!
この時代に、親友ができ、今年65歳になる今でも昔と変わりない想いで付き合っています!

中学1年の時は野球部に所属していました。
下手でしたが、長嶋茂雄ミスタープロ野球に憧れて野球を始めたのです!(爆)
1年生でユニフォームをいただきました。
背番号14番でレギュラー選手の補欠です。
何十人といる部員の中で1年生で補欠に選ばれたのは2名だけだったと記憶しています。

この頃を思い出すとき、若大将の歌がバックに流れてきます。
君といつまでも、夜空の星、青い星屑、夕日は赤く、霧雨の舗道、等々です!
その頃の映像や香りが若大将の歌に乗って脳裏に現れるのです。
それだけ若大将の歌は私の身近にありました。

中学1年修了時に、父が仕事の関係で転勤します。
それに家族も付いていくことになりました。
宮城県南部の小都市です。

中学2年からこの小都市で暮らします。
音楽はますます身近になり、ピアノでは様々な曲を弾くようになっていました。
基礎くらいは習った方が良いと思い、ピアノの先生の所に通い始めます。
転校と同時にクラシックギターを買いました。
作曲も日常化していきます。

転校の時に、自己紹介をするときに自分の作曲した曲を披露しました。
恥ずかしいということを知らない天真爛漫な、別の言い方をすれば図々しい性格だったのかもしれません。

<君の笑顔>14番目の曲です。写真をクリックすると聞くことができます!

ここでも友達には恵まれました。
中学2年、3年と友達と楽しく過ごしました。

転校を機会に野球も止め、文科系一本で行くことにしたのです。
この時のクラブは天文気象です。
この時期に天文にも興味を持つようになりました。
水金地火木土天海冥=太陽から近い順に惑星の名前を覚えたのもこの頃です。今は冥王星は準惑星に格下げになっています。

勉強もそろそろやらないとダメかなと思い普通にやるようになりました。
そしたらどんどん上がって行って、学年10クラス男女合わせて400〜500人の生徒数でしたが、成績が10%〜20%の中には常に入るようになりました。
やっと普通の生徒になれたかな、というところでした!

そんなときに国語の先生から、弁論大会をやるから出場して欲しいとの依頼がありました。
引き受けはしたものの何を題材にするか悩むことになります。
生徒の一部には反感を買いそうな「少年非行に思う」という題材で弁論大会に出場しました!
そんな依頼が来るのですから成績も順調に伸びたということですね!(笑)

音楽は勿論、理科、社会はトップクラスだったと思います。
好きになれなかったのは数学です。
常時5段階評価で3でした。
2年生の時に4をいただいたときもありましたが、総じて嫌いな学科でした!

2年生の時にバイエルを終了しました。
ひとまずピアノの基礎は押さえました。
この頃によく弾いていたのは「乙女の祈り」「クシコスポスト」「エリーゼのために」「トロイメライ」「アルルの女メヌエット」諸々でした。

作曲は順調に進んでいました。
例えばこんな曲を作りました。

<若者の夢>5番目の曲、写真をクリックすると聞くことができます!

3年の時の校内合唱コンクールで私はピアノの伴奏をすることになりました。
曲はヘンデルのオラトリオ<ユダス・マカベウス>から「勝利の歌=見よ勇者は帰る」でした!

見事優勝します。
姉妹校が札幌の中学校にあり、その代表が表敬訪問に来た時に、市民会館を借りて披露しました。
グランドピアノを伴奏として弾いての合唱でした。

3年生の終わりには、クラスの予餞会、全校の予餞会とあったものですが、クラスの予餞会では、私の作曲した歌をギターやドラムなどで仲間で演奏して歌いました。
楽しい思い出です!

高校はその小都市の進学校を受験しました。
クラス5人平均で受かる高校です。
宮城県は長い間、高校は男女が分かれていて男子校、女子高でした。
10クラスありましたから同じ中学から50人近くは、その進学高校に入学しました。
学年の男子の約2割です。

中学時代は、勉強もそこそこしましたが、音楽に没頭した時代でした。
その頃、身近になくてはならないものはピアノとギターでした。
クラシックに目覚めたのもこの中学2年〜3年です。
なけなしの小遣いでクラシックのレコードを買いました。
殆どの小遣いは加山雄三とクラシックのレコードに消えて行きました。

これまでの人生で一番楽しかった時代だったかもしれません!