理論物理学者は神の数式を求めて命を削っています。
電磁気力、核力(強い力、弱い力)、ここまでは統一できています。
しかし、最後の重力を統一できずに神の数式は未知の世界なのです!

人類が存続する限り永遠の課題として残るのか、いつかは統一され宇宙が白日の下に晒されるのか、まだ分かりません!

このように解明できない未知の世界は厳然と存在しています。

これを精神世界に置き換えたらどうでしょう!

ダライラマの仏教の教えを一言で表現するなら、「心は死を超えて存続する」ということに尽きるのでしょう!

未知の世界が存在する限り、精神世界を単なる妄想と切り捨てることはできません。

しかし、私のような凡人は、生きとし生けるものが死んでしまったら、そこで精神世界は終わるということを単純に信じています。

何度か全身麻酔をして手術をしたことがあります。
麻酔がかかっているときはまったく夢を見ません。
完全に脳は意識を失っています。

そして目覚めたとき、このまま目覚めなかったら、これが死と言うものなんだ、ということを強く感じました!

死後の輪廻転生が現実にあるとしても、今の自分の意識として認識できなければ、それは無そのものであって、人間の意識化のことではありません。

死をもって精神世界からは解き放たれても、第三者がその心の存在を見ているということがあるかもしれません。
「心は死を超えて存続する」とはそういうことのように思います。

母が亡くなって3週間ほど経過しました。
霊界にまったく疎い私には、今、母がどのあたりにいるのかまったく分かりません。
7日毎に試練があるようで、7日毎に供養しなければならないとも聞きます。
次男の私には49日までに位牌の魂入れを菩提寺でしなければならないという義務感だけが歩を前に進めています!

長男がいます。
仏教の修行をして、和尚と変わらず読経もできます。
正にダライラマの「心は死を超えて存続する」を信念として実践しています。
母の供養も毎日しているようです。

自分で位牌も作りました!

IMG_1503


未知の世界は存在するので、永遠に続く精神世界を否定はしません。
母と父の供養をしてくれることには家族として感謝しています。

凡人の私は、死してただこの世を去り行く、あとは無なり!