昭和36年(1961)から40年(1965)頃まで、私が小学校の2年〜6年生までのことです。
よき昭和の面影が色濃く残っていた時代です。
子供にとっては様々な魅力的な物売りがリヤカーを引いて、あるいは自転車に積んでやって来たものです。
拍子木を叩いて開催を知らせる紙芝居屋、チリンチリンと鐘を鳴らしてリヤカーを引く、冬は「おでん」、夏は「だんご」売り、夏だけですが「ところてんいらんかーい」と叫ぶ「ところてん」売り、きんぎょ〜え、きんぎょ〜と調子のよい金魚売り、氷まで売りに来たものです。
食べ物以外では怪しげな物売りもありました。
十円玉を魔法の薬で金ぴかにする魔法の薬売り!(笑)
子供の目の前で針金を目にも止まらぬ速さで加工し、輪ゴムを飛ばすピストルを作り上げる職人の針金細工売り、等々枚挙に暇がありません!(笑)
様々な物売りの中でひときわ注目を浴びたのが爆弾売りでした。地域によって様々な呼び名があるようですが、仙台では爆弾と言いました。
物騒な爆弾ではありません。戦争の廃品と思われる大砲を圧力窯に使用し、その窯に子供が持ち込んだ米と砂糖を入れて熱し圧力を目いっぱい高めて、ここぞというときに、大砲の蓋をハンマーで叩いて外します。そうすると中の砂糖がまぶされた米がポップコーンのように膨らんでドカーンという凄まじい音響とともに外に吐き出されます。それが子供たちが言う米菓子、爆弾でした!(笑)
当時はお好み焼きが5円で食べられた時代です。これらの物売り、食べ物に限っては5円から買えました。親にせびって工面した10円玉を握りしめて、様々な物を買い食いしたものです。
懐かしく思い出されるよき昭和の情景です。