15b3856c.JPG「美しい星」という言葉で思い出すのは、10代の頃に読んだ「三島由紀夫」の、きっと唯一のSF紛いの小説でしょう、その題名です。仙台に住んでいますが、自分が幼い頃に遊んだ里山が登場するので、なおのこと印象深くそこのところだけ覚えているのです。「大年寺山の苺園で....」というくだりです。三島には珍しい作品だと思います。興味のある方はお読みになってください。
これまでの人生で最も美しい星、というよりも星空にお目にかかったのは、20歳のころの大学のクラブの合宿で行った山形蔵王パラダイスロッジで高原に大の字になって眺めた夏の星空でした。ハクチョウ座デネブ、ワシ座アルタイル、オトメ座ベガが形作る夏の大三角、そこを天の川が雄大に流れます。山の澄んだ大気の中、6等星まで明るく輝いて見えました。まさに「満天の星」でした。光のひとつひとつが太陽と同じ恒星でそれぞれが小宇宙を形作っています。そこには惑星群が存在するかもしれません。そして地球と同じように文明が栄えている星がきっとあるはずです。この地球だけが例外の特別な星だとは到底思えません。あまりに遠くにあり過ぎて、見ている星明りは遠い過去の存在の証です。今見えているものが過去の存在という概念も心を捕らえて離しません。
星空ひとつとっても解らないことだらけです。それだからこそ夢もあるのでしょう。
地球に人類が生まれて、そうとう遡っても500万年、地球が誕生して45億年、人類などは今生まれたばかりの生物です。恐竜でさえ人類の12倍近い繁栄を謳歌しました。
人類があとどのくらい繁栄を続け、宇宙の謎をどれだけ解決するのかは、この今に生きる我々が如何に地球に優しくなれるかが鍵となります。このままでは温暖化が進み、そう長くは繁栄を謳歌できないでしょう。
地球の未来は、未来を知る由もない我々ひとりひとりが握っています。皮肉なことですね!

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