ab190d4e.jpg昔々の大昔、山間の村落があった。
毎夜村民の誰かが獣に襲われ命を落としていた。
村民にとっては死活問題で寄り合いが持たれた。
どうして獣から村民の命を守るか?
村の周囲に城壁を築くことになった。ついては使役を各家から1人ずつ出すことに決まった。
100人ほどが集まり日夜城壁作りに精を出す。
1軒だけ使役を出していない家があることに皆が気づく。
再三催促するもダンマリを決め込んでいる。
何日もかけて立派な城壁が完成した。
もう獣に襲われる心配もない。安心して暮らせる。
ダンマリの家は相変わらずの図々しさで居座っている。
この家も完成した城壁によって守られている。
村民は我慢できない。働きもせず安全を得ているこの家の主を!
実力行使に出た。この家の者たちを城壁の外に放り出した。そのうちに獣の餌食になることだろう。

財政(税金)と防衛を説明するのによく使われる架空の話である。
ダンマリを決め込んだ家の住人をフリーライダーと呼ぶ。
現代にもけっこういることだろう。

獣から身を守るための城壁作りの使役が税金である。その結果の城壁そのものが防衛となるのだ。
果たして、この今、獣に当たるものはいったいなんなのだろうか?そこがハッキリしない。何のために税金を払うのか?払わざるを得ない税金はいったい何に使われているのか?
すべてがあやふやでうやむやである。
フリーライダーになりたい心境だ。
またぞろ増税が頭を擡げてきた。城壁はもう十分な安全を確保しているのに、何度も何度も訳もわからず作り直しさせられている。そんな感じだ。
国の寄り合いは目的をなくし、指導者のフィーリングで動いている。
昔々の大昔に返って、目的と手段をハッキリさせることから始めて欲しいものだ。

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