犬のように素直に心を表現できたら、きっと晴れやかな気分になれるだろう。
出かける時には、一人にしないでと、玄関から動かない。
帰って来れば、二階のテラスで全身を振るわせ、喜びを表しながら玄関までお出迎え。
あれが食べたい、これが欲しいと、好きなものを何時間でも強請る、いじらしさ。
嫌いなものには、毛を逆立てて、怒りを露にする。
隠すことのできない感情、これが自然の姿、生物の有り様である筈なのに、人の心には鍵が掛けられ、中を気軽に見ることはできない。
人の気持ちを大事にしようと、社会の常識に合わせようと、ストレスに身を晒しながら、感情を押さえ、波風を立てまいと必死になる。
それを理性というなら、あまりにも短絡過ぎないか。
叫んでみよう、心の扉の鍵を開けて、蟠りを吐き出すように、喜怒哀楽のすべてを声にして。
理性とは、取り繕うものではない。
掛け値なしの、正直な優しさと、素直さがあれば、心と心は混ざり合って一つになる。
犬に教わることは多いが、愛犬を失って4ヶ月になる。やはり寂しい。そろそろ子犬が欲しい。
仕事を終えて帰ったとき、玄関に迎えに来る健気さを思うと堪らなくなる。それだけで心が癒される。犬にとっては快か不快か、それだけの判断であるに違いないが、受身として、それをストレートにぶつけられるとき、愛おしさが生まれる。感情を体全体で表現し、体をうねらせて喜ぶ。それを見ると抱きしめたくなるのだ。
今、飼えば留守番が多くなるが、若ければ耐えられるだろう。犬は1日の大半を寝て暮らすのだ。数時間はたっぷり相手をし、遊んで愛情を育む。キャッチボールが最適だ。投げたボールを咥えて持って来る。あるいは口で投げ返して来る。この遊びが犬は好きである。家に迎えるのは、60日から90日の子犬が良い。訓練しやすいからである。寝食をともにするのだ。最低限の躾は必要だ。
どうなるかは分からないが、昨年11月に生まれたダックスフンドが身近にいるようだ。何とかなれば良いのだが、その前に家内を説得しなければならない。殆どは家内が面倒を見ることになるからだ。私ができることは何でもするつもりだが、家内の負担はかなりのものだから!
とにかく犬が欲しい。侭成らない世の中にあって、与えた愛情に素直に応える犬の健気さは、「コンパニオンアニマル」、何よりも勝る心の処方薬である。

上記は2005年の1/27に書いたブログですが、未だに愛犬を手にしていません。欲しいという気持ちは募るばかりですが、環境がそれを許しません。誰もが心の癒しを求めるものですが、それを手っ取り早くペットに求めるのは些か安易に過ぎるかもしれませんが、一度、愛犬の素晴らしさを身をもって体験すると、それに勝るものはないと思い込んでしまいますが、決して思い込みではない素晴らしさを犬は持っています。
飼えば10年以上の付き合いになり、老齢に向かうハンデと経済的な裏づけがなければ安易に飼うことはできません。はてさて、如何したものか!!