d8ebb94f.jpg今は決して若くはないのだけれど、穢れのない若さを詩と歌で楽曲として表現した叫びを聴く時に、今のすべてを置き去りにして青春に帰りたいと素直に思うことがある。それは過去の青春の憤りや歓びを発散しきれていない現在の自分がいるからかもしれない。現実逃避に違いないが生きるという生業がある以上、そこには逃れることのできない柵があるのだ。そう思いつつも青春というある種の心地よさに浸る自分が哀れでもある。
僕が僕であるための何かを見つけるために街を彷徨い続ける、尾崎豊の心情がよく分かって彼の楽曲を聴くたびに、このブログに何かを書きに来てしまう。
心は青春そのものである!