50715386.jpg仕事柄、シニアの皆さんとお話する機会が多い。それは、殆どが「昔は良かった」というものである。郷愁が包み込むのである。「田んぼでイナゴを獲った」とか、蛙を潰して皮を剥いて「ザリガニ獲り」をしたとか、罠籠を仕掛けて「ドジョウを獲った」とか、今はやろうとしても、獲物が少なく、またそれらの生息場所もなくなり、なかなかできないことばかりである。
自分のシングルの頃は、田んぼの中が遊び場所でもあった。田植え前の刈り込まれた田んぼはシングルの心には広大な遊びの空間だった。真っ黒になって、跳ね回っていたものである。夕方になると、よく蝙蝠が飛んでいた。竹竿を持ってきて、蝙蝠目がけて小円を描くように振り回すと、飛ぶための音波が乱されるのか、蝙蝠が落ちて来た。気持ち悪くて触りもしなかったが。
田植えが終わり実るまでの間は、用水路が絶好の狩場となる。悪がき2人と組んで、1人は三角網を手で持って堰に沈める。もう1人は、10m先あたりから棒切れでバシャバシャ水面を叩いて用水路に生息する生き物たちを三角網に向かって追い立てるのだ。タイミングを見て、三角網を左右に動かし、集まった生き物たちを逃さぬように根こそぎ掬い獲るのだ。フナ、雷魚、ヤゴ、ザリガニ、ドジョウ、ナマズ、ゲンゴロウ、タガメ、等々、団子になって三角網の底に溜まっていたものである。それらをバケツに入れて、持ち帰り、水槽で飼った。飼うというよりも、弱肉強食を眺めて楽しんでいたといっても良かろう。上記の中では雷魚が一番強かった。水槽の生き物は当然少なくなっていく。また、田んぼの用水路に網を仕掛ける。その繰り返しなのだ。
稲穂が頭を垂れる頃は、カマキリが田んぼの王者となる。青い太腹をヒクヒクさせて、オオカマキリがイナゴを食らっている。何ともおぞましい姿である。そのオオカマキリを何匹も何匹も虫籠に入れて、持ち帰りカマキリどうしを嗾けて喧嘩させ、共食いさせるのだ。これを称して自分は「幼き狂気」と呼んでいる。昔を想い出すときによく使う言葉だ。
四季を通じて、田んぼはシングルの遊びのフィールドだった。ここで自然のやさしさを知り、命の尊さを学んだ。
シニアの皆さんとの話の結語は、「今の子供は可愛そうね」である。自然と一体となって遊び学ぶ場所がないのだ。勢いパソコンゲームやテレビゲームに興じてしまう。
今の自分が正にそうだ。50歳を過ぎてこんなことをしている自分は、「今のシニアは可愛そうね」にならないように気をつけよう!

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