2004年10月28日

日本アルプス!

f7d2226f.jpg仙台から名古屋、大阪を頻繁に往復したことがある。交通手段は飛行機である。その飛行ルートには日本アルプスがあった。毎週、月曜日に往路を、金曜日には復路を、その繰り返しである。半年ほど続いたろうか。鳥瞰図を見ての飛行である。晴れれば大変気持ちの良い眺めとなる。

登山者の憧れである「槍」や「穂高」への難所の稜線が、上空からは何の苦労もせずに美しく見える。険しい山々の裾野を流れる美しい梓川、そして大正池。自分には絶対に征服できない山々を意図も簡単に征服しているこの有様がアルピニストニに申し訳ないような後ろめたさを感じてしまう。
物の見方には上下左右様々な有様がある。何の苦労もせずに頂点を極めることもあれば、苦労に苦労を重ねて到達することもある。人生の妙だが、どちらが人間を強くするかは明々白々だろう。自分としてはできれば苦労などはしたくないと思うのだが!(笑)

日本アルプスの尖った稜線が
眼窩を過ぎる

山とは無縁の男が
天空から山を征服している

白馬も槍も剣も穂高も

幾多のアルピニストを眠らせた
犯しがたい山々をいとも簡単に

天空の標的を捕らえるかのように
尖った頂は鋭さを増し
不意の征服者を突き刺そうとする

突けるものなら突いてみろ
天翔ける支配者は
お前たちに捕らえられるほど愚かではない

雪氷の白を反射して
神々しい頂を見る瞳は
果てしない憧れを見ているのだろう

踏みしめる小さな一歩の積み重ねが

犯しがたい憧れを
確実に引き寄せて行く

息絶え絶えの肉体は
憧れを求める強靭な精神と
靴底のアイゼンが支えている

次の一歩を得るために
打ち込むハーケンが
乾いた悲鳴を上げる

形のない崇高な夢が
その先にあるに違いない

アルピニストはハンマーを打つ手を止めて
上空を飛ぶ飛行機に目をやった
苦笑いを浮かべながら

kenhappy1 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月26日

楽譜!

8e596497.JPG高校生の頃、音楽の先生と口論したことがある。先生曰く「音楽は学問だから軽く考えてもらってはこまる」というようなことをおしゃったと思う。男子高で、まじめな歌を歌ったりすることが、みんな面白くない年代である。自分自身はこの頃でも音楽はとても好きだったが、これは一般的な話しである。

そう言う先生に「音楽は感性ですよ」と生意気なことを言ったら、先生が怒ってしまって「楽典もわからず何が感性か」というようなことで!(笑)
しかし、その時に自分が言ったことは今でも間違ってはいないと思っている。楽典などわからなくても、作曲はできるし、やはり感性といわざるを得ない。
現在は録音技術の発達した時代である。作った曲を録音しておけば忘れずにすむ。楽譜がなくてもいいわけである。楽譜の目的は、再現性である。何年経っても作った当時そのままにその音が出せるかにかかっている。たくさんいい音楽を聴いて、音の響き、すなわち和声を体で覚えていれば和音という概念を知らなくとも何ら問題はない。楽譜に著せなくてもいいのだ。
こう言う自分は、いま言ったこととはまったく逆で、感性がない。音を耳で記憶し、それをコピーすることができない人間である。音の響きを体で覚えることが苦手なのだ。
もし、楽譜が書けなかったら、自分の曲を何年もの間、その時々のままに記憶しておくことはできなかった。作曲を始めて30年以上経つが、楽譜に記録することができたから30年前の曲も、その当時に作曲したとおりに再現できるのである。楽譜は私にとって、メロディーも和声も、記憶しておくための手段である。
いま持っているDTMはローランドのミュージ郎であるが、その前は何度かソフトを変えている。古いソフトでは和音を記述する機能がなく、メロディーだけ印刷可能というものだった。古いソフトで、だいたい自分のオリジナルをMIDI化したのだが、古いソフトと新しいソフトの互換性がなく、また作り直さなければならいという状態になっている。そこで必要なのが感性、耳で音をコピーするという才能である。自分にはそれがないので、前に作った曲の録音を聴いて楽譜を起こせないので、まったく同じ状態にはなかなかできないのだ。最初から、こんな感じだな、と楽譜に起こしていく作業となり、当然最初からまた作っていくので時間がかかってしょうがない。最近は歳とともに根気もなくなっている。また、以前と同じにできないと面白くないことも重なって、この作業は長く中断したままである。自分の場合は、楽譜に残しておくということが、いかに大事かを思い知っているところだ。
一般的に楽譜はなくてもいいが、それなしに音を再現するには、それなりの才能がないとダメである。かなり前に作ったMIDIを聴いて、そんなことを再認識した今日であった。

kenhappy1 at 00:34|PermalinkComments(2)TrackBack(0)芸術 

2004年10月25日

小椋 佳

80cae653.jpg28年ぶりに小椋 佳のステージを見た。NHKアーカイブスという番組の中である。
それは小椋 佳32歳、自分は23歳の時だった。感動があった。年甲斐もなく涙が流れた。
初々しくはにかむ彼がいる。彼が発する声のようにそれは自然でナイーブである。
人それぞれに音楽は聴く者の心に物語を創り上げる。

彼の歌のフィーリングに自分の心が振え共鳴する。そして、心に深く深く残響が染み入るのである。心の琴線に触れる歌とは、このような状態を言うのだろうと実感する。
聴こうと思えばいつでも彼の歌は聴くことができる。レコードがあるからだ。しかし、あまりにも歳を重ねた今の自分の心とはかけ離れているようで、大袈裟かもしれないが聴くのが怖いのだ。28年ぶりに見る彼のステージには、当然の如く感動し涙が流れてしまう。感動とは切なさの裏返しである。28年前にはもう戻れない。物理的にも精神的にも戻れないということである。それが寂しさを募る。歳の取り方が下手ということだろうか?

心の琴線に触れる歌がある
その殆どは10代から20代に聴いた青春の歌である
中でも小椋 佳の歌には思い入れがある

30年以上前のことだ
高校3年生の夏
予備校の夏期講習に参加していた頃
その帰りに寄ったスナックで流れていた歌が
心に響いて離れない

ナイーブな今までに出会ったことのない
賛美する言葉がないほど心に染み入る声
歌詞がどうの曲がどうのということではない
そんなことは露ほども意識させず
詩 曲 声が醸し出す楽曲のイメージそのものが
感動と同義語となった
小椋 佳その人を如実に物語る歌である

ママがお客さんと話している
「小椋 佳の歌っていいわねぇ」
手に持っているのは「彷徨」のレコードジャケットだった

青春とは自分探しの旅をすることだと思っている自分として
またひとつ自分に出会えた喜びで一杯だった

カラオケなどない時代
歌声喫茶華やかし頃
「潮騒の詩」「さらば青春」など
鬱に苛まれやるせないときに
心の丈を込めて歌ったものである

小椋 佳の歌はもう何年も聴いていない
聴いていないと言うよりも
怖くて聴けないのである
その理由をはっきりとは説明できない
切なくて虚しくて息苦しくなってしまいそうで不安なのだ

歳とともに心体のバランスが崩れ
心を宿す肉体が弱体化し
顕になる純な心を受け止めることができないでいる
歳の取り方が下手なのだ

じっくりと勇気を出して
気軽に青春の歌を
懐かしみながら聴いてみたい

kenhappy1 at 12:11|PermalinkComments(2)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月24日

自然の猛威!

0c3b655a.jpg昨夜、新潟県でものすごい地震があった。
被災された方々に心からお見舞い申し上げる。
震度6が3回もあった。
小地谷市では地震の加速度が1500galにも達したそうである。地球の重力が980galで、それを上回れば当然地に立つことはできず、浮き上がる状態になる。もの凄い力である。阪神淡路大震災は818galで、この時の揺れの角度は55度にも達したそうである。その約倍近い値である。一部の地域では正に恐怖の瞬間であったろう。

自分は宮城県に住んでいるが、この地域は30年以内に起こる宮城県沖地震の確立が90%以上だったと思う。しかし、マグニチュードは7以上の巨大地震でも、直下型ではなく、海溝のプレートのずれで生じる地震であるので、今回よりはましなのではないかと素人考えでは思う。
我が家なら間違いなく崩壊である。築25年、通し柱を切って部屋を継ぎ足しているので、間違いない。プレハブの仮設住宅暮らしになる。
平均余命まで30年、30年以内に避けられず起こるなら、確立の最後の方で起こって欲しい。切に願う。

テレビニュースで見たが、役所がインターネットから情報を得て、避難民に状況を説明している場面があった。
現状では電話回線が生きていれば、インターネットは見ることができる。しかし、電話回線が死んでしまった時が問題だ。まだブロードバンドとしての無線通信は開発途上である。情報入手手段としてインターネットに勝ものはないのだから1契約で有線、無線通信(どこでも可能な無線LAN)ができるように開発を急いで欲しい。ノートパソコンのバッテリーで2時間は何とかなる。

kenhappy1 at 16:24|PermalinkComments(2)TrackBack(0)徒然なるままに 

文章の妙!

3a5deba1.JPGかなり前の話だが、車のラジオで芥川賞と直木賞の話題を取り上げていた。果たして賞を取った作品は読まれているのか?という内容である。だいたい今の自分は、何と言う作者の何と言う作品が賞を取ったのかも判らないのが普通である。それだけ今は本を読んでいない、ということになる。
最近の「蹴りたい背中」「蛇にピアス」が18〜20歳の女性が受賞したとの報に接し、人間の奥の深さに驚き、50歳を過ぎた自分の不甲斐なさに言い知れぬ寂しさを感じてしまう有様だ。


冒頭のラジオで取り上げていたのは、何年受賞作か忘れたが、芥川賞は当時京都大学の現役学生で今風の茶髪にピアスの平山啓一郎氏の「日蝕」であり、直木賞は宮部みゆき氏の「理由」である。この作品が一般的に読まれているのか?ということを調査したものだったが、結論は芥川賞作品で言えば70万人がこの本を手にしているだろう、という結論である。しかし、ほとんどが「ツンドク」で、実際に読む能力をもって読んだ人は10万人はいないだろう、とも言っている。それだけ難しく、10ページ、20ページ読んで難しくて諦めてしまう、これが一番多いと言う。ラジオでは何が難しいのか?ということをハッキリ言っていないので、私にも何が難しいと言っているのか判らなかった。読むことはできるが、内容がさっぱり判らないのか?しかし、書いているのは日本語だから、理解できないことはないと思うのだが、これは小説で専門書ではないのだから、物語の筋くらいは判るのではないか?そもそも書いている漢字そのものが判らないのか?:結局、私には何が判らなくて諦めてしまうのかが判らなかった!
大変失礼なことでお詫び申し上げるが、当時、本屋よって芥川賞の「日蝕」を立ち読みした。15分で丁度11ページ読むことができた。印象は正直に「面白くない」である。文章は旧式の一人称で書かれている。それが本当に旧式の今は使うことのない文語体である。こんな言葉に漢字をあてはめるか?と思うようなところにも漢字を使用している。時代背景は1482年のパリでパリ大学の神学生の物語である。キリスト教徒である主人公が大学の蔵書の中に異教徒の経典のようなものを見つけて、それに対する自分の哲学をこんこんと述べて行く。私が読んだ最初の11ページはそんな感じである。しかし、文章を難しく書きすぎて違和感を覚えてしまう。本当に旧式の判りずらい文章にする必然性が、この物語にはあるのか?文章の美しさを感じることはできなかった。勿論、自分はこのような文章を書くことはできない。そこには稀な才能を感じることができる。しかし、過去の文豪の文章に感じるような、文章の美しさは、残念ながら感じることはできなかった。別の目的、日本語の文語体を後世に残すということであるならば、その価値は計り知れないものがある。それと小説の面白さや風格や文章の美しさなどは無縁のことであるからだ。私には旧式の文語体を使わざるを得ないような必然性を、この物語の序章の11ページからは感じることができなかった。文章は大変難しいが、そこに美しさも風格も感じなかった、ということである。当時40代の文学の好きな自分としては、書いてある文章は理解することができた。通常の文章と同じように読むことはできたのだが、そうであるだけに、敢えて判りずらい文章にする必要があるのか?ということに疑問を持った。
たった11ページを読んだだけで論評するのは大変失礼であるのは、お許し願いたい。
年代に、難しい文章を読める読めないの区別はないと思うが、今風の20代の人にはまったく読めない文章であるには違いないと思う。きっと年代に関係なく、文学に人生の一時期、のめり込んだことのある人でないと、この文章はきっと読めない。それだけ、すべての事柄を、純文学とはこういうものだと言わんばかりに、難しく書いている。書きながら、それを楽しんでいるような作者の顔が浮かんできて、自分として独りよがりの思いではあるが、面白くなかった。冒頭に「面白くなかった」と書いたのはそういう意味である。
三島由紀夫の「豊穣の海」という彼の最後の作品がとても印象に残っている。それは何故かというと、彼が昭和45年11月25日(自分は高校2年17歳であった)に当時、市ヶ谷にあった自衛隊の東部方面総監部で自刃した時に、この作品の最後の原稿を出版社に渡してから死に赴いたということもあるが、それ以上に、この作品がすべて旧字体で書いてあったからだ!今風に言えばすべて第2水準の漢字を使用して書いてあったわけである。これには大変驚いた。そして日本語の文語体の形の美しさのようなものまで感じたものである。最初は、書いている漢字自体が判らない状態だった。それで、とにかく旧漢字を調べてまず読めるようにした。だからこの作品は何度も何度も読んだものである。大抵は当時読んだ本の内容は忘れてしまうのだが、この作品だけは何年たっても忘れることがない。私の体に染み付いてしまっている。最近、本屋に行った時に文庫本を覗いてみたら、この「豊穣の海」があった。「春の雪/奔馬/暁の寺/天人五衰」の4巻だが、手にとってページをめくって驚いた。すべて当用漢字に変身していたのだ。これは許されることなのか?と考え込んでしまった。何故なら、旧字体による文章が、その物語の時代背景や、その物語の持つ匂いや、感触や、風格や、人間の五感で感じ取ることができるすべてを包含しているからである。ただ、読みやすい文章ならいい、それでいいはずがない。
見た目は同じでも「日蝕」との違いを痛切に感じた。

kenhappy1 at 00:54|PermalinkComments(2)TrackBack(0)芸術 

2004年10月23日

石の投げ方?

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仙台にプロ野球がやって来る。
さて、Live doorか楽天か?
流れは楽天のようだ。
現代のライフスタイルを嫌う?大御所は、どうもLive doorが嫌いらしい。

同じ今風のネットビジネスを展開している2社。まずは服装である。堀江社長のTPOを無視したTシャツが気に食わない。それなら、背広にネクタイの楽天、三木谷社長が良い。しかし、三木谷社長が背広にネクタイに変身したのは、このプロ野球問題に参戦しようと思ってからのようだ。楽天の社員もびっくりらしい!
服装のことを取り上げると、マスコミもいっせいにそれを書き立てる。
次は「アダルト」である。なにもアダルトが見られるのはLive doorだからではない。ネットを知らない者が言っているとしか思えない。楽天からでも見ようと思えば見ることができるし、インターネットとはそういうもので、敢えてそれをマイナス要素と決め付けるのなら、ネットの負の遺産である。
最大の黒字球団がアダルトが不味いとLive doorに言ったのなら、それもおかしい。なぜならそこで発行している駅売りスポーツ新聞にもピンクページがあって、ネットよりも過激な記事が記載されている。ことさら「アダルト」を煽ることによって、またマスコミが書き立てる。それによって流れが楽天に動いているように思う。水面に石を投げると波紋が広がるように、徐々に揺られて行く。情報の起こし方、石の投げ方が上手いということか?
仙台人はLive doorを応援している者が世論調査では多い。それは前述のようなことを敏感に感じ取っているからだ。
後でやって来た楽天の「いいとこ取りは許さない」という気持ちが優先している。
どちらになるかはオーナー会議で決まることと思うが、そのオーナーの企業はプロ野球では大赤字を出している球団が多い。その赤字経営者が、「お前のところは大丈夫か?」と審査するのも、どうも矛盾を感じてしまう。
どちらかは仙台での球団設立はできないが、ダメだったところも生かす道を模索して欲しいとプロ野球界にはお願いしたい。
ダイエーにソフトバンクが名乗りを上げた。破壊の時代に突入していることは事実だ。
野村さんのシダックスも取り込んで、セパ7球団ずつでも面白そうだ。
いろいろな道があると思う。

kenhappy1 at 00:19|PermalinkComments(2)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月22日

教育用電子市場!

8a4399ec.jpgアメリカ、アイオワ大学に教育用電子市場なるものがあるという。端的に言えばネット上での知的な賭け事である。賭けの対象は様々のようだが、現在の大方の関心は「大統領選挙」で「ブッシュ・ケリー」のどちらが勝つかである。1口5ドル〜500ドルの掛金が可能で、予想が当たれば1口について元金の他に1口1ドルの配当金があるそうだ。1口5ドルで6ドル返ってくる勘定だ。当然、外れれば掛金は戻らない。

アメリカという国の太っ腹なところが非常に面白い。まず大学が賭け事を推奨している点、また、賭けの対象は、しっかりとした分析がなされ、どこの予想よりも当たる確立が高いのだそうだ。
これを知的先物市場と言うらしい。日本ならば手が後ろに回ってしまう!(笑)
10/18現在、ブッシュが掛金に直して60.6セント、ケリーが39.6セントだそうである。世論調査では僅差だが、この先物市場ではブッシュが手堅い強さを見せている。
日本でも、こんなユーモア(日本ではユーモアの範疇か?)があっても良いのではないかと思った。
それにしても、今度の小泉改造内閣には、魅力があるだろうか?
小泉総裁の言う、「自民党をぶっ壊す」という意味では、確かに派閥を無視した人事になった。逆に言えば、自由奔放で歯止めの利かない小泉首相のやりたい放題内閣とも言えなくもない。イエスマンばかりを集めたからだ。また、入閣時に「郵政民営化」という「踏み絵」を踏まされている。政治家に大事なのは、信念に基づく「プライド=誇り」であり、それを大臣を餌に、無くした政治家は、もはや「死に体」で、次の選挙がきっと危ないだろう。自民党は長く1党独裁だったので、派閥同士が与野党(2大政党)の役目を果たしていたが、それが完全に崩れた。崩れて1つになれれば、それは結構なことだが、もはやバラバラで崩壊寸前である。崩壊が怖いので、「小泉降ろし」にも積極的に出られない。今は政治的には不幸な状態となっている。きっと次の選挙が早く来れば民主党が政権党に取って代わるだろう。それを多くの国民も望んでいるのではないだろうか?と思うのだが。
最近の小泉総理の言動は独裁的で、よろしくない。そろそろお役御免である。「ご苦労さん」!

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2004年10月21日

BASIC

d3fba9b8.JPG1984年、テレビでNECと富士通が盛んにパソコンのCMを流すようになった。NECはPC6601,8801,9801、富士通がFM7,FM8,FM11,グレイド別にこの3種類のPCである。
7年頑張っていたアマチュア無線を諦め、パソコンをやってみようと決意する。
この年に、25年のローンを組んでマイホームを買い、住み始めた。趣味を2つ持つことは収入上できない相談であった。実家には、7メガの2エレ八木、14メガ、21メガ用の5エレ八木、1.9メガ、3.5メガ用のロングワイヤ、等のアンテナをタワーに立てていたが、新しい家に引っ越すために降ろしてしまったことも、パソコンに鞍替えするきっかけとなった。

無線機材を売ってパソコンを買ったが、実際はPC6601と交換の形になった。無線の機材はかなり高いものだったからだ。このPCの謳い文句は「おしゃべりパソコン」、FM音源を内蔵していて、音楽を作れたが、しゃべらせることもできた。PCで自分のオリジナルを演奏させたいと思っていた。それにはちょうどよいパソコンである。
当時のパソコンは今のものとは180度どころか360度違うと言っても過言ではない。そして能力は今なら人間とアリくらいの違いがある。クロック周波数4MHz、RAMは32KBしかなかった。何かをやらせるには、メモリーを食わないような工夫が必要だった。
まずOSはMS−DOSというもので、それほど使うことはなかったが、コンピューター言語としてBASICが内蔵してあった。
パソコンの電源を入れても、今のように綺麗な画像がディスプレイに出てくるようなことはない。真っ暗な画面に、白いカーソルだけがピッカピッカしているだけの無味乾燥なものだった。
何かさせたいときには、アプリケーションソフトを買ってくるか、パソコン付属のBASICを覚えてプログラミングする以外になかった。
しかし、このBASIC、なかなかの優れもので、こと事務処理に関しては、自分の頭で描けるものであれば何でも実現することができた。
自分は文科系の人間だが、コンピューター言語そのものの在り様は論理数学になるものと思うが、論理の構築ということが、文科系、それも文章にこだわりを持っている者にはしっくりくるのだ。少々緻密な論理の構築であるが、自分の感覚としては恰も物語を書いているような感覚なのだ。
自分の表そうとする言葉を、BASICのコマンドから探していく、それを繋ぎ合わせていって、物語を完成させるのだ。その過程が何とも言えず楽しかった。
当時はサラリーマンで、会社にも1台、BASIC内蔵のパソコンがあった。会社にPCがたったの1台である。そんな時代なのだ。もちろん大型のコンピューターは経理処理などに使われていた。
その1台のPC、当然のことながら使う者などいない。というより使えない者が99%であった。
さっそくMYPCに早代わり、自分の仕事をどんどんプログラミングした。ねじり鉢巻で1日かかってやっていた仕事が2時間で終わってしまう。きれいにデータがプリンターから出力される。「パソコンとは何と便利なものなんだろう!」と感心し、とても嬉しかったことを覚えている。
自分の常として、3年先を見こして仕事をした。それが信条だったが、残念ながら会社がついてこない。「こいつは何をやっているんだ」という具合である。
3年後に、やっと3年前に自分がやっていたことを会社が推進し、当たり前になり始める、という具合だ。
自分は会社では抜けている存在だったが、3年先は未来過ぎて殆どの者に理解されなかった。
そんなことを25年も続けたが、最後はバカバカしくなって会社を飛び出してしまった。
組織には合わない人間だったと言ってもいいのだろう。
しかし、会社にとっては総じて有益だったと自負している。

写真は、1から10までを加算していくプログラムである。答えは55となる。

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2004年10月20日

自殺志願!

1ac23c4b.jpgおかしな世の中になった。
見ず知らずの者が7人、ネットを通じて集まりミニバンの中で、赤い紐ならちょっとは洒落ているが、単なるロープで互いが動けないように縛りあって、4台の七輪に練炭を焚いてガス中毒自殺した。

7人いたら1人くらいは止めに回るのが常だが、仲良く死んでしまった。
その中に1人だけ遺書を残した。主婦で子持ちだ。
「あなたたちと一緒で幸せだった」とあったそうだ。「何をかいわんや!」である。幸せだったら生きるがいい!矛盾も甚だしい。
ネットは開かれた世界であるが故に、このような危険性も孕んでいる。
★自殺をするときの要素
1.しがらみを断つ
2.恐怖心を断つ
3.死の不確実性を断つ
ネットによる自殺志願者の勧誘と集結は以上を簡単に満たしてしまう。
★ネットでの呼びかけは、正に見ず知らずの者への呼びかけである。
★究極の死に赴くときにも人間は弱い存在であり、淋しく仲間を集う。
★死への恐怖、「果たして死ねるのか」その不確実性を排除するための集団死
これらを実現するために、ネットは最適ということになる。
人間、死にたいと思うことは人生の中で多々あるものである。事実実際の自殺者は交通事故の死者を上回り、年間1万5千人以上ではなかったかと思う。それは非常に悲しい出来事である。その一人ひとりに物語があることだろう。しかし断じて肯定はできない。
自殺者が多い国の社会が病んでいるとも言える。日本もその範疇ではある。
辛いときには大いに甘えて慰めてもらえば良い。ネットでもきっと心のケアをテーマとしているサイトはいくらでもあることだろう。家族、友人、同僚、上司、身の回りのすべての人で甘えることができる人間がいるなら、そうすべきなのだ。誰もいないなら、それこそネットでそのような孤独な仲間を募ればよい。きっと何人も慰めあう者が集まることだろう。何故なら、人間は淋しく、孤独で、弱虫だからだ。誰もがそうなのだ。だから一生懸命に生きている。一生懸命に生きることによって、強くもなれるのだ。喜びも生まれるのだ。昨日見た映画の中の台詞で「生きていて楽しい?」と女が聞く、「辛いっすね!だから一生懸命生きている」と男が応えた。みんなこうなのだ。

「若者よ 死に赴くことなかれ」
夢がある真実と
夢がない現実がある

夢がある真実だけを
追い求めれば
夢がない現実に
生きられない

夢がない現実に
諦めれば
夢がある真実に
焦がれる情熱を失う

この世は侭ならず
永遠の憧れに旅立つ
誘惑に支配された
心の覚醒が闇に誘う

呪縛の糸を
はるかな旅の果てに
辿り着いた
真実の光の剣で
断ち切れ

夢がある150億光年の
真実の旅路が
夢がない現実の世界を
光の航路に変えるだろう

若者よ
死に赴くことなかれ


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2004年10月19日

ネットの変遷!

db046d76.jpg1992年から1995年頃まではパソコン通信をやっていた。まだインターネットが一般的には普及していない時代である。当時、パソコン通信の代名詞はニフティー、ピープルであった。その両方に加入して楽しんでいた。
パソコン通信とは、現在のインターネットの前身と思っていただいてよいと思う。

当時の通信速度は最高でも1600/bpsだったと記憶している。たったの1600ビット毎秒である。それでも理論的には毎秒100文字の日本語を送信できたことになる。当然、テキストだけの送信が当時の通信スタイルであるが、毎分いくらという課金の問題があって、リアルタイムでの発信はしなかった。あらかじめ送信文書を作成してから、ネットに繋いで送信するというやり方である。読み方もデータをダウンロードして、通信を切ってから読むというやり方だ。
このパソコン通信、当時は一時代を築いたといっても過言ではないくらい普及した。企業も、社員のコミュニケーションの手段として使ったものである。インターネットの閉じた世界、主催するプロバイダ(当時はこの名称はまだなかったが)の中だけの世界と思っていただければよい。グラフィック(写真やイラストなど)はなし、それ以外は原則的に、現在のインターネットとさほど変わらない。
フォーラムといって、ハッキリとしたカテゴリーごとに別れ、どこのカテゴリー(フォーラム)に所属するかを明確にし、そのテーマに沿った意見のやり取りをするのである。
Blogに似ているが、Blogよりも更に肌理の細かいテーマに意見を沸騰させたものである。
1995年からインターネットが徐々に普及してきた。
それによって、パソコン通信の役割も終わりを告げることになる。私も1995年にインターネットに切り替え、パソコン通信は必要性がなくなり止めた。
当時のインターネットの料金体系は従量制であった。月4時間までが定額で、それ以降は分いくら、というような具合だ。まだテレホーダイ(23:00以降は使い放題で定額)などない時代である。通信速度は14400/bps。これまでが遅すぎたので、これでも早く感じた。しかし、インターネットを見て、短時間で止められるわけがない。毎月万札が飛んでいったのを覚えている。
24000/bps、33600/bps、56000/bpsとアナログダイヤルアップの通信速度が改善されていく。その頃はまだISDN64000/bpsが最速の時代である。そしてついにブロードバンド(定義としては1M/bps以上の通信速度を持つ通信のことをいう)が登場する。ダイヤルアップ56000/bpsの時代からみても青天の霹靂と言ってもよいスピードの増速である。これによって、音楽や動画の配信が一般化してくる。いわゆるストレージ、大容量時代の到来である。
これによりパソコンは、大容量のHDD、大容量ドライブ=DVD−+R/RW=の登場となる。また、TVキャプチャーカードを内蔵させるPCも増えてくる。パソコンでテレビが見られる、パソコンで、これまでのビデオのように、HDD録画ができる、録画したものをDVD化(DVDドライブで焼く)できる、デジタルビデオ映像をパソコンに取り入れDVD化できる、等々、映像(静止画、動画)を扱ったパソコンの楽しみが増加した。
きっと音楽の面でも進歩するだろう。CDがMDに取って変わられるかもしれない。
5年前には今のパソコンの進歩は、何とか想像はできた。しかし、5年後のパソコンがどう進化しているかの予想はできない時代になった。きっと予想もしない進化を遂げていることだろう!

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2004年10月18日

たかが犬されど犬

e0000e0c.jpgSimple is best!
何でもそうだが、複雑なものよりも単純なものの方が分かりやすい。それは形のない心も同じことである。
人間の心は複雑な故にその澱が目に現れ濁してしまう。仕方のないことだ。
生まれてから死ぬまで澄んだ目を輝かせるものがある。それは犬である。自分たちにはない、その純粋な目に人間は魅かれ愛でるのだ。そして、その愛に十分すぎるほど応えてくれるのも彼らの愛しさの原点である。
その犬を、人間の都合で捨て、殺してしまう。許されない行為が横行している。
野良の勇者に学べ!

野良の勇者は気高かった
心を通わせようと
手を差し伸べても
優しく言葉を掛けても
毅然と拒否される

何が勇者を
このように頑なにさせるのか

彼は野良犬のリーダーだった
10数頭の仲間を束ね
健気に力強く生きていた

彼らが人間に危害を加えたわけでもないのに
お役所仕事の美名のもと
ある日突然
彼らのフィールドに
毒入り竹輪が撒かれた

気高いリーダーは
一口も食べずに威厳を示した
しかし仲間は食欲に負け
次から次へと食していった
バタバタと毒に倒れて行く
生き残ったのは
ついにリーダーただ一頭である

彼は極端な人間不信になった
飼い主に捨てられ
今また仲間を殺された
威厳はさらに厳しく
彼を頑なにする

いつしか彼はお尋ね者となった
その首には懸賞が付くに至った
彼が悪さをしているわけではない
彼のフィールドが観光地で
野良犬が闊歩するのは示しがつかない
ただそれだけの理由である

しかし彼は
捕まるような愚か者ではなかった

愛犬を亡くしたばかりの
一人の女性が車を走行中
偶然に前を横切る彼を目撃する
彼女は一目で彼の威厳の虜になった
車から降りて彼に近づき
持っていた弁当を差し出す
食べるわけがない
彼はプイと横を向いて知らん顔
無視し続ける
彼女には直ぐにピンときた
これがお尋ね者の野良犬だと

それからというもの
彼女は何度も彼に無償の愛を降り注ぐ
しかし何度手を差し伸べようと
食べ物を与えようと
彼は無視したままびくともしない

ある日のこと
彼は彼女について来いと
促す仕草を繰り返す
彼女は何だろうと訝りながら
着いて行った

そこはあの仲間が
毒によって殺された森であった

彼が立ち止まった先に
誰が捨てたのか
まだ生まれて間もない
子犬が佇んでいる

彼女はその子犬を助けた
彼の犬種は猟犬である
猟犬は主人を
一度は試すと言われている
彼女は彼の与えた課題を乗り越えた

それ以後
彼は彼女の飼い犬となった
もはや彼には威厳を湛えた厳しい顔はない
穏やかな優しい表情が溢れている

人間の愛が
彼の消しようのない心の傷を癒し
許しがたい人間の罪を水に流させた

好きで頑なになるものがいようか
自らの罪を悔い
他人の罪を許せれば
心は穏やかになる

この素晴らしい飼い主と
素晴らしい犬の物語は実話である

kenhappy1 at 00:47|PermalinkComments(2)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月17日

夕焼けに追い立てられて!

9b5bdb9c.JPG7歳まで標高100m余りの里山の麓で暮らした。
夏は昆虫と遊び、秋は果実を頬張る。
どこまでもどこまでも時間を忘れ、遊びは尽きることがない。
ふと気が付けば淡い夕焼けが追いかけてくる。
早く戻らなければ!帰り道を暗さで失ってしまう。
急げ〜、夕焼けに追われて逃げる我がいる!
ふと見上げた今日の夕焼けに幼き情景が蘇る!

夏の陽炎(かげろう)に包まれたような
大きく広がった淡い夕焼けを見た

いつのことだろう
クワガタとカブトムシを求めて
ブナやミズナラの樹液溜りを探して
里山の奥へ奥へと
何処までも入って行った

夢中になり過ぎて
時間も方向も分からなくなり
あっちこっちと途方にくれた帰り道
このピンク色の淡く美しい
夕焼けを見たのだ

西の方向が定まった
美しさを感じている余裕はない
蝉時雨が時を刻み
真っ赤に色づく夕焼けに
追いたてられるように
東に向かって走りに走った

見なれた街の灯りに立ち止まり
ハアハアと肩で息をしながら微笑んだ

あの日と同じ夕焼けが
古(いにしえ)の憧れを道ずれに
暮れて行く


kenhappy1 at 00:06|PermalinkComments(2)TrackBack(0)郷愁 

2004年10月16日

JFKとの出会い!

fe8cb66e.jpgアメリカとの衛星放送が開通した日、なぜか10歳の私はテレビを見ていた。暗殺は63年11月、開通日はハッキリしないが、その時にアナウンサーが伝えたのは「JFKの暗殺」であった。「衛星放送が開通しましたが、初めに悲しいニュースをお知らせしなければなりません。ケネディー大統領が暗殺されました」こんな内容の第一声だったと記憶している。JFKという人間を意識したのは、その時が初めてだったと思う。テレビでは生前のJFKをかなりの時間を割いて映し出していた。

JFKの暗殺は謎のままであるが、確か50年後に資料が公開されるのではなかろうか?今年の11月で没後41周年であるから後9年か?
映画「JFK」は、ニューオリンズの地方検事ジム・ギャリンソンの著書『JFK/ケネディ暗殺犯を追え!』とジム・マースの『クロスファイア』を基にケネディ暗殺の謎に迫るが、ここで描かれるのはあくまでギャリソンの唱える共同謀議説を中心としたものであり、事件に対するひとつの“推論”でしかないが、真実味がある。暗殺の真相は誰もが知りたい20世紀の大きな謎の一つだ。

今日は疲れていたのか20時には就寝したが、1時には目覚めてしまった。こんな生活をしていた時があった。大学の受験勉強をしていた頃である。
ラジオの受験英語も教材片手に聴いたものだ。それで印象に残っているのがJFKの大統領就任演説である。
その有名な一節が教材として使われた。
その部分の生のJFKの声があるのでお聴き願いたい。

ケネディー就任演説

その部分を抜粋してここに著します。
「Now the trumpet summons us again... not as a call to bear arms, though arms we need. . .not as a call to battle... though embattled we are. . .but a call to bear the burden of a long twilight struggle. . .year in and year out, rejoicing in hope, patient in tribulation. . .a struggle against the common enemies of man: tyranny. . .poverty. . .disease. . .and war itself.
Can we forge against these enemies a grand and global alliance. . .North and South. . . East and West. . .that can assure a more fruitful life for all mankind? Will you join in that historic effort?
In the long history of the world, only a few generations have been granted the role of defending freedom in its hour of maximum danger; I do not shrink from this responsibility. . .I welcome it. I do not believe that any of us would exchange places with any other people or any other generation. The energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it. . .and the glow from that fire can truly light the world.
And so, my fellow Americans. . .ask not what your country can do for you. . .ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world. . .ask not what America will do for you, but what together we can do for the Freedom of Man.」

あまりにも有名な企業もよく勝手に引用した部分、And so,my fellow Americans...〜ask what you can do for your cauntory.まで、「国があなたがたのために何ができるかではなく、あなたがたが国のために何ができるかを問いたまえ」この言葉には18歳の受験生にも納得のいく大げさに言えば感動できる一節であった。
今日は昔の受験サイクルの寝起きに、そんなことを思い出していた。


kenhappy1 at 01:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月15日

幼き狂気!

f744e14a.jpgパチンコといっても皆さんが連想する玉弾きのパチンコではない。二股の鉄の棒に強力なゴム管がついていて、それに弾を挟んでオモイッキリ引っ張って放す、パチンコの方である。正式名称は何というのか?東北ではパチンコ、或いはゴム管と呼んだ。
まだ小学生の頃、このパチンコで残酷なことを随分したものである。

当時、何でも屋(欲しいと思うものは何でもあったから)が町にはあったものだが、空気銃の弾を幼い小学生にも売ってくれた。今なら父兄の間できっと問題視されるところだろうが、昔はどこか大らかさがあり、こんなことをしても許される時代だった。
母の使い古したベルトを失敬して、ゴムひもで空気銃の弾が収まるワッカを縫込みガンベルトとした!(笑)
ガンベルトを締め、パチンコを持って、よく田圃に出かけ、蛙を無差別に狙って撃ち殺したものである。そんなことに快感を感じる部分が誰にでもあるような、幼い狂気があった。
遊び仲間の家の押入れの荷物をすべて出し、ネズミ捕りをした。小さなハツカネズミのような可愛いネズミが捕れたものである。そのネズミを屋根のテレビアンテナに吊るしておくのだ。そうすると野鳥がそのネズミを狙って集まってくる。そこをパチンコで狙った。幸か不幸か私は打ち落とせなかったが、打ち方の上手いワルガキはけっこう打ち殺していた。
今思えば何とも殺伐とした狂気に思えるが、当時は、子供の遊びの範疇だった。
狂気にも見えるが、実は命の尊さを逆に学んだような気がする。そんなことをしたのは、小学生までで、中学生からはやらなくなった。
幼い懐かしい思い出でもある。
殺伐とした殺人事件が頻発する世の中になった。きっと自然との対話など一度もしたことのない心の貧しい人間のすることである。
命はハードコアである。亡くしたら復活できないということを真剣に考えて欲しい。

kenhappy1 at 00:32|PermalinkComments(1)TrackBack(0)郷愁 

2004年10月14日

時間の矢!

9fe6ad4c.JPG1秒1分1時間1日後に万物の存在が保証されていると考えることは自然なことかもしれない。
しかし、時間の概念はそれを否定している。何故なら1秒前の自分と現在の自分は明らかに同じ自分ではない。過去と現在と未来の万物の存在は時間が決定しているからだ。
明日は今日と同じようにあると考えた方が自然かもしれないが、明日にこの世があるとは保証されてはいない。それは未来であり、未来を決定することはできないからだ。

しかし、人間は腕時計をしながら、未来が確実にあるものとして思考し行動している。面白おかしい動物である。万物の霊長所以のことか?

いつもなら何の疑問も感じないことが
ふとした瞬間に心を捉えて離さない

この世の存在そのものが不思議である
 
すべての存在は
時間の矢の連続性に縛られている
時間が止まれば
この世のすべてが止まるのか

否である
時間そのものは
我々が意識するしないにかかわらず
ビッグバンとともに生まれ
常に前進している
時間が止まるという概念は
人間の脳が想像しているに過ぎない

ならばこの世の存在はどうなのか
過去と未来は時間の概念が決定している
時間の矢とは無関係に
この宇宙は存在するのだろうか
1秒1分1時間1日1年1光年後の未来に
万物の存在は保証されているのだろうか  

今この瞬間を生きる自分には
時間の矢の先端しか見ることができない
未来を確認することなど基よりできないが
明日に消滅しても何ら矛盾のない
未来の有りようが不思議でならない  

明日も明後日も何ら変化なく
この世は存在していると思う方が
自然なことに思えるのだ
 
すべては人間の脳が創り出す
ファンタジーに過ぎないのか
時間の矢の先端のさらに先を考えて
不思議の世界に浸っている
愚かな自分がいる

kenhappy1 at 00:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月13日

マイバイクの変遷!

669e0925.JPG1970年、高校の授業をサボってバイクの免許を取得した。当時の実技は125CCの実用車を使用してのものだった。免許を取る前からホンダのCB90を親に買ってもらい、家の近くの山間の空き地でさんざん乗り回したので、実技は簡単、一発合格である。高校2年の秋のことだった。
当時のホンダCB90はよく走った。たった90CCのバイクだったが100Km/hくらい楽に出たものである。

当時、憧れていたものがあった。ホンダCB750である。たまに我がCB90と行き交うことがあり、こちらからピースサイン、相手も必ず返すのだが、その人・車一体の優雅な動きにシビレたものである。「いつかはクラウン」ではないが、「いつか必ず俺も乗るぞ」と誓ったものだった。
道のりはかなり遠かった。学生時代は関東だったので、バイクには殆ど乗っていない。社会人になって最初の5年は地元から離れての勤務だったので、バイクは実家に置いたままだったが、いつの間にか、もう乗らないと思ったのか、母が市役所に寄付してしまった!(笑)
そんなこんなで、バイク暦に10年のブランクができた。
28歳で地元に戻った。会社の通勤用にヤマハSR125を買った。昔のCB90に比べると排気量は上だが80Km/hを出すのがやっとの単車だった。約10年近く乗り潰し、いよいよ年収にも余裕が出てきたので、ナナハンも買えるようになったが、しばらくはヤマハビラーゴ250のアメリカンに乗った。38歳の時、ゼファー750に跨った。今やカワサキがビックバイクの代名詞である。夢を実現をしたが、ナナハンはビックバイクに非ず。1000CC以上のバイクをビックバイクと呼ぶ時代になっていた。我が人生最後(?)のバイク、カワサキGPZ1100の登場である。市販されているバイクで最も速く走れる逆車(日本が輸出したバイクを日本に逆輸入)カワサキZZR1100(最高スピード300Km/h)と同じエンジンを積んでいる。日本仕様のGPZはリミッターといって、180Km/h以上のスピードが出ると燃料供給がカットされるようにできているのだ。実際は180km/hなどは、このバイクからすれば、まだまだ加速中のスピードである。もう40歳を超えてからのビックバイクである。年甲斐もなくなどと言われそうであったが、気にせず乗った。正に17歳の夢実現である。時間があればツーリングをしていた。印象に残るロードは沢山ある。「九十九里浜ロード」「房総フラワーライン」「長野ビーナスライン」「北海道サロベツ原野」等々、挙げれば切がない。1996年の北海道、道央・道北・道東への3泊4日の強行軍ツーリングを最後に我が鉄馬を下りた。
朝靄煙る帯広を苫小牧に向けて南下中、靄の切れ間にブルー尽くめのライダーが見えた。人・車ともにブルーである。細身のかっこいいライダーに思えた。間もなくすれ違う、左手を胸の前に手刀を切るようにピースを贈った。「あっ、やられたぁー」思わず叫んでいた。そのライダーは、左手で大きく優雅に投げキッス、ヘルメットのフェイスの顔が笑っている。女性だった。
きっと人生最後の?長距離ツーリング(2000km走った)の餞をいただいたようで、何とも言えず清々しく、年甲斐もなく嬉しかった。「僕は君を忘れない、ありがとう」


kenhappy1 at 03:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0)郷愁 

2004年10月12日

時間と空間!

4e82f619.JPG時間と空間を考えるとき、漠然とした恐ろしさを感じることがある。
どうして1分前の自分を鏡に映せないのか?
どうして1分後の自分を鏡に映せないのか?
現在は常に前に進み未来を埋めて行く。
過去は後ろに広がり思い出となる。
自分の存在を考える時、 何故ここにあるのかを不思議に思う。

今いる空間が
恐ろしくなることがある

今どうしてここにいて
連続した時間の中で
自分の存在があるのだろう

その存在は過去と未来の狭間にあるが
境界線は見えない  

どうして1分前の自分を鏡に映せないのか
どうして1分後の自分を鏡に映せないのか
現在は常に前に進み未来を埋めて行く
過去は後ろに広がり思い出となる

自分の存在を考える時
何故ここにあるのかを不思議に思う
 
地球に人類が誕生し
その特定の男女の営みによって
自分が誕生した
そして半世紀生きている

ごくあたりまえの
理(コトワリ)を考えているのではない

閉じられた空間の中での
時間の矢に縛られている
この世の全ての存在が
不思議であり
この空間にあることが
漠然と恐ろしく感じるのだ

現在だけが
自分の存在を決定している
未来は存在ではなく無である
過去は存在ではなく記録である
存在は現在にのみ生きている

夜が来て眠りにつけば朝が来る
どうして連続した時間の中で
自分の存在と共に
夜が来て朝をむかえるのか
その存在が不思議であり
漠然とした恐ろしさを感じるのだ


kenhappy1 at 02:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コスモス 

2004年10月11日

夢のフィールド!

a50b287e.jpg転勤族の父のもと幼き頃、住まいを3度替えた。その一つに数十年ぶりに行ってみたことがある。
マンションタイプ2階建12戸の集合住宅である。
その敷地には、幼き頃の遊びのすべてを賄ったフィールド(広場)があった。

水を撒いて凍らせスケートもした。軟式テニスボールで草野球もした。バットは棒切れ、グラブは素手である。隣の家の屋根を越えたらホームラン。コマをぶつけて叩き割る喧嘩ゴマ、ビーダマにパッタ(メンコ)、地面にS字を描いて、相手の陣地まで、ケンケンで跳ねて敵を倒しながら敵陣の宝を奪うS外戦。等々、幼き遊び心は尽きることがない。皆が天才である。
小さい、あまりにも小さすぎる。今の大人の目では、何もできないと思えるほど小さなフィールドである。
同じフィールドで様々なドラマが演じられたとは到底思えず、驚き以外の何物でもない。
数十年の時の流れが物の見方を変えてしまった。

小さな心に
いっぱいに広がる
大きな夢の遊び場

こちらの塀から
あちらの塀まで
走り比べを楽しんだ

投げて打って
隣の家の
屋根を越えたら
ホームラン

砂場に輪を描いて
はっけよい
のこったと
横綱の張り合い

独楽をぶつけて
力を鼓舞した
喧嘩独楽

潰れたら負けと
歯を食いしばる
駈けて背に乗る
馬ごっこ

Sの字描いて
ケンケン歩きで
相手を倒し
宝を奪うS外戦

ビー玉をぶつけ合い
メンコをひっくり返す

すべてを賄った
小さな心に息づいている
大きな夢の遊び場

小さい
何もできないほどに
小さい

数十年ぶりに
思い出の遊び場に立ち
慄然とする

穢れた目には
失った純の数ほどに
大は小となり
幼い思い出が嘘のようだ

この空間を
再び夢の遊び場とすることが
できるだろうか

純な新鮮な心の目を
再び得ることが
できるだろうか

穢れた大人より
幼子でいたい

kenhappy1 at 00:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)郷愁 

2004年10月10日

聖戦?

2e732467.JPG高校3年生の頃に、どうして特攻隊は国のため天皇のために死ぬことができたのか?「生等はもとより生還を期せず」どうして出陣学徒は国のため天皇のために身を捧げる決意を表明できたのか?本当にそうなのか?
まじめに議論し頭を悩ませたものである。

「すべては諦念である」その時代に生きてしまったことによる諦め以外の何物でもない。
テレビの特別番組を通じて、実際に当時徴兵された学徒本人から生の意見を聞くことができた。
靄の晴れる思いがした。

「聖戦」

10代後半によく考えたものである
どうして国のために
特攻隊は死ぬことができたのだろう
聖戦を謳い天皇の名の基に
死して虜囚の辱めを受けず
無意味な戦争に
どうして玉砕できたのだろう

基本的人権の基に
自分の意思を貫くことのできる今
それらを若者が語る時
死の美学となった

雨煙る神宮外苑
昭和18年10月の学徒出陣に
三八式銃を背負い行進する学徒は
何を思ったのだろう
「生等はもとより生還を期せず」
果たしてそうなのか
何物にも妨げられない自分の意思で
本当にそう思ったのだろうか

家族を守り国を守り民族を守る
この誰しも持っている思いは
生きる時代に関らず
国民の心に純粋に存在するものである

この思いではなく
皇国を守り抜くために
天皇のために
「生等はもとより生還を期せず」
なのだろうか

否である断じて否である
意識するしないに関らず
すべては諦念である
逃れられない
時間と空間の接点に生きてしまった
悲惨な運命に他ならない
皇国のためでもなければ
天皇のためでもない
誰しも無意味な戦争から生還したかったのだ

思いがけなく
学徒当事者の思いを聴くことができた
長年の疑問が見事に吹き飛んだ

kenhappy1 at 01:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月09日

滅びの世界!

509e8336.jpg我々は確実に消滅する滅びの世界に生きている。
それは想像もできないほど遠い将来ではあるが、数十億年後の未来に赤色巨星となった太陽に飲み込まれる運命にある。その後太陽はゆっくりと冷え、白色矮星となり輝きを失い死の星となる。
数十億年後まで人類が生き延びているとすれば、きっと星間宇宙に旅立つ術を身につけていることだろう。

しかし、数十億年後まで人類が生き延びるとは到底思えない。宇宙の時流からすれば、たった21世紀に生きる現在でも滅びを加速する方向に進む一方だ。戦争、テロ、これまでの文明がもたらした温暖化現象、それに起因する天変地異、等々。地球、それを支配していると錯覚している人類、共々が徐々におかしくなっているように見えるのだが?
人類は、地球で唯一、宇宙を大観できる脳を持っている。
その知恵を壮大な宇宙に結集するなら、遠い将来に生き延びることができるかもしれない。
宇宙から見れば地球に存在する我々は、当たり前のことだが地球人である。その同族同士が殺しあっている。そんな地球人が遠い将来まで世代を継いで生き残れる筈がない。
明日の未来は、数十億年後の未来に通じる第一歩である。地球人の未来は、滅びの世界からの脱却にある。必ず消滅する地球に存在する我々が、我々自身で消滅を早めて何になる。地球人として一つになり、世代を継いで、星間宇宙に脱出するのだ。果てしなく壮大な思いが、人間を地球人を優しくさせる。

年老いた太陽
赤色巨星が
母なる地球を飲み込む
数十億年後の現実

人類はその時まで
生き延びることができるだろうか

生命は粘り強いが
あっけない存在でもある

6千万年前に
我が世の春を謳歌していた恐竜は
ユカタン半島に落下した
10Km四方の隕石によって
あっけなく消滅した

恐竜はそれ以前6千万年の間
この地球を支配した

人類の起源は
どんなに遡っても5百万年であり
それ以前は何も解らない

このことだけでも
人類がこの地球では新参者であり
絶対的存在ではないことが解る

その人類は
地球消滅の時まで
素晴らしい進化を遂げ
生き延びることができるだろうか

我々は滅びの世界に生きている
数十億年後の未来に
確実に消滅する母なる地球に

我々の死が確実なように
それは自然の摂理である

その時まで
人類が生き延びることができるなら
死に行く地球を目前にして
星間宇宙に旅立つ術を
身につけていることだろう

宇宙に飛び立つのだ
限りなく光速に近い
宇宙船団地球号で

母なる地球を探して
何世代にもわたる
壮大な星間宇宙の
フロンティアの旅に出るのだ

百万年後には
いくつもの殖民惑星に
人類の子孫が根をおろし
次なる惑星を探査していることだろう

百万年は長い
現在に生きる人類が
宇宙船を持って数十年
技術文明に入って
まだ数百年である

しかし宇宙の時空は壮大である
百万年は無いに等しい

無いに等しい百万年を
フロンティアの百万年に
充実させることができるなら

21世紀初頭に生きる我々は
未来に繋ぐ人類の礎として
胸を張って生きることができるだろう

kenhappy1 at 04:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コスモス 

2004年10月08日

ハングリー精神!

e0116c33.jpg23歳のときにアマチュア無線の資格を取得した。
トンツー=モールスに興味を持ったからだ。日本の巨大通信会社関連に就職したのだが、そのとき出会った上司がこれをやっていたのだ。戦中はもちろん戦後しばらくは、通信手段としてトンツーは活躍を続けた。戦後派の我々の世代はトンツーを音で覚えたものであるが(もちろん仕事では最早使われてはいない)、上司が過去に仕事でやっていた通信は有線である。電鍵の接点が付いたり離れたりする、それこそトン、ツーあるいはカツ、カツーというような生の電鍵の音で読み取るのだ。こちらは、スピーカーから出るピーピピーというような音の区別で覚えた。モールス信号は同じでも、聞き取る耳はまったく違うのである。昔の電報はすべてこのトンツーでのやり取りだったが、今の我々では仕事にならなかったに違いない。カツ、カツという響きだけでは聞き取れないからだ。

23歳から30歳(パソコンがこの世に出現するまで)まで、毎日ヘッドホンをかぶってトンツーの音を子守唄代わりに聞き入っていたものだ。
毎日が電波での世界旅行である。当時は冷戦時代であったが、東側も無線に関しては大変盛んで、大抵の国々と交信している。日本を嫌う無線家もけっこういた。CQ CQ NO JAとCQを出す者も多かった。そもそもCQとは誰でも良いから応答願いますの意味である。NO JAには正直頭にきたものである。
ソ連は大国ではあったが、電源事情が悪く、トンツーの音がピゃーピャーピャーと飛んだり跳ねたりするのだ。ある意味面白い国だった。
日本は総じて世界の無線家からは嫌われていたといってもよかろう。それはあまりにも無線家の数が多かったからである。それも90%は電話級といって、言葉で話す無線である。世界標準はトンツーができて初めて無線家と言えたからだ。無線家ならぬ無線家が山ほどいたので嫌われた。
だから前述のNO JAとなることが多いのだが、それ自体は大変失礼なことなのだ。
表題は「ハングリー精神」、何がそうなの?前置きが長くなったが、それは、無線を始めた頃は、10Wの出力でがんばっていた。アンテナはアパート住まいで、屋根に高く上げるわけにも行かず、ベランダから出しただけのバーチカル(垂直に伸ばした1本の金属の棒)であった。その貧弱な設備で世界の国々の微弱な電波を傍受して、交信をするのである。並大抵の集中力ではないのだ。トンツーは単純な音の集積なので、僅かな響きであっても聞き取ることができる。それが幸いし10Wで100ヶ国以上と交信することができたのだ。これはけっこうな快挙なのだ。と自分では自負している。
アワードといって、交信で一定の規定をクリアすると賞状がいただけるのだが、かなりの数のアワードをいただいた。
中でも世界的に最も権威のある「DXCC」アワードをCW(トンツー)で3年で成し遂げたことは今でも誇りに思っている。世界の100ヶ国以上と交信し交信証を交換しなければならない。無線設備を勘案すれば3年でのクリアはとても難しいといって過言ではない。
コールサインは、JR7KNDである。
貧弱な無線設備で大物を仕留める、ハングリー精神があったからできたことである。

kenhappy1 at 09:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)アマチュア無線 

2004年10月07日

聴いてきた音楽!

ac66432b.JPGこれまでどのような趣向で音楽を聴いてきたのだろう、と振り返ってみた。
積極的に音楽を聴きだした(この場合、レコードのことをいう)のは、小学校の6年生12歳からである。加山雄三が「君といつまでも」を出した年、昭和40年である。初めて自分で買ったレコードでもある。330円だった。加山雄三のシングルレコードは、きっと半分くらいは持っていると思う。人気は気紛れ、中学2年の頃、加山雄三の爆発的な人気も陰りを見せ始めた。

中学に入ってからはクラシックがメインとなる。たまに加山雄三を聴くというパターンである。クラシックで最初に買ったレコードはビゼーの「組曲アルルの女」だったと思う。誰々の作曲家に凝る、ということはなかった。この頃は組曲の中の曲を買うことが多かった。グリーグのペールギュント組曲から、「朝」とか「ソルベイグの歌」とか!
シベリウス「フィンランディア」スメタナ「モルダウ」、交響詩もよく聴いた。上げれば100以上にはなってしまう。交響曲は「ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ショスタコビッチ」等そんなに多くの作曲家の曲は聴いていないが曲数は多く持っている。最後は、バロックである。一番レコードを持っているかもしれない。何といってもビィバルディーの「和声とインベンションの試み=和声と創意への工夫=いろいろな題名訳がある」その1番から4番が、皆さんよくご存知の「四季」である。社会人になってからは、積極的に聴くことはなくなってしまったが、聴けばじっくり聴いてしまうのがクラシックだ。高校から、クラシックと平行して洋楽や日本のニューミュージックを聴くようになる。洋楽はビートルズに熱中した年代より若いので、私の場合はS&G(サイモンとガーファンクル)である。1970年代だ。「明日にかける橋」「コンドルは飛んで行く」その他印象深い曲が多々ある。ビートルズも社会人になってからよく聴くようになった。そして、忘れられないのが17歳のときに出会った「小椋 佳」の「彷徨」のアルバムである。すっかり虜になってしまった。その他、フォークソングも好きだった。どうしてもダメなのは、激しいロックである。ロックは歌う音楽ではないと思っている。踊る音楽だ。
人間とは、素晴らしい感性を持っている動物である。心を震わす音を創ることができるのだから!

「交響曲」
チャイコフスキーの第四番交響曲が
ファンファーレを高らかに奏でる中
夏の花火はカラフルに
次から次へと夜空を染めて美しい

何年前の映画だろう
無骨なチャイコフスキーの
人生物語としては
派手なオープニングであった

目には目を歯には歯を
鬱の嵐に心の船が悲鳴を上げる時
竜巻のような第四番は
嵐と戦い航路を開く

この物悲しげな
激しい情熱の響きは
何物にも喩えようはないが
紛れもなくチャイコフスキーが
人間が成し得た業である

ショスタコビッチの第五番交響曲が
ファンファーレを高らかに奏でる中
ロシアの広大な大地に
砲声が鈍く響きわたる

何年前の映画だろう
ロシア革命には
正にこの革命交響曲が相応しい

それはショーロホフが綴った
壮大な静かなるドンの物語
赤軍と白軍の間で
自分の進むべき道を
見出せない主人公を
ボルシェビキに導いて行くようだ

この力強い荘厳な響きは
何物にも喩えようはないが
紛れもなくショスタコビッチが
人間が成し得た業である

kenhappy1 at 01:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芸術 

2004年10月06日

ガソリン価格!

470f7aac.JPG原油の価格がバカ高である。1バレル(樽)50ドルくらいだろうか?
原油自体は潤沢にあるのに、なぜ高騰しているのか?
このデフレスパイラルの最中に必需品の高騰は死活問題である。どこかで市場操作をしているに違いない。需給のバランスを故意に崩しているのだ。
国内的には度重なる台風の影響で原油備蓄が減っていることも高騰要因のひとつのようだ。

しかしリッター130円台の価格は、昭和49年から50年代初期にかけての石油危機以来、経験したことがない。
その頃は、高度成長時代で、狂乱物価だったが、賃金も上がった時代である。今のお金が回らない(動かない)時代とはまったく状況が違う。その中での130円台、これは日本経済危うし、と思った方が良い。
お金の回らないデフレ時代だが、比較的物価は安定していたから、何とか生活もできている。お金が回らなければ当然、買い控え、貯蓄に回り、物価は凍結か下落する。そのかわり停滞経済から脱することができない。悪循環が続くのだ。
石油からできている商品はけっこうあって、それらも上がっている。身近に感じるのは紙の価格だ。パソコンには紙が付き物、プリンターがなければパソコンのメリットは半減してしまうが、そのプリンター用紙が100円くらい上がっている。毎日使うので痛い。ここまできたら政府が何とか対策を取らないといけないが、何のアナウンスも聞こえてこない。故意に避けているとしか思えない。困ったものだ。
景気が良くなってくれないことには、生活も良くならない。デフレスパイラルで、全体的には物価は下落していて、日常生活にはそれほど困らない状況だが、だからといって、例えば住宅ローンの支払い額が安くなるわけではないし、リストラで給料は下がっているのが普通の世の中で、家計への圧迫はかなりのものとなる。また必需品に対しての趣味的商品の価格は高値安定といったところで、安くなってはいない。自動車がいい例だ(もう日本では自動車は必需品かもしれないが)。軽自動車でも100万円ないと満足の行くものは買えない。一般大衆車では150万円がひとつの目安となる。3ナンバーであれば250〜300万円はするところだ。それが年間500万台から売れているのも事実である。中古車も含めれば合わせて1500万台以上が売れている。しかし、これだけでは、日本の屋台骨を支えるにはぜんぜん足りないのだ。買うべき目的がはっきりしていて余計なものは買わない、国民の購買に対するスタンスがデフレを促す方に変わってしまった。バブル期のように、新製品を次から次へと買い換えるようなことは、今は夢のまた夢になっている。家電など、もはやテレビのごとく必需品に近いものは壊れるまで買うことはない。また製品が良くなっているので、テレビに限らず、これがよく長持ちする。耐久消費財の役目を良く果たすので、この分野での貨幣の流通はそれほど望めないのだ。しかし、車を買えるほどの貯蓄があるのも事実である。それをいかに日常的に引き出すかは、日本経済の活性化がなくてはできないことなのだ。サラリーマンにとって、会社がどうなるかわからないのに、消費ができるわけもなく、会社は消費者の財布の紐が閉じたままでは働く者の給料が払えない、という相互に悪循環となっている。ちょっと考え方を変えないといけない。PCはちょっとおもしろい。必ずしも完成品を買う必要はないのだ。パーツを寄せ集めることによってひとつの製品となる。当たり前の話のように聞こえるかもしれないが、これは他の製品にはあまりないことなのだ。PCはマザーボード、CPU,メモリー、HDD、DVD、CDなどをシャーシーに取り付けて、マザーボードと結線すれば完成品として動いてくれる。CPUやマザーボードの世代交代があれば、その部分だけを買い換えれば、簡単にグレイドUPが可能となる。完成品の1/10の金額でできてしまう。こういったように、完成品だけを買い、それがダメになれば、また完成品を買う、というのではなく、パーツごとに取替えが可能なら、もっと頻繁にグレイドUPのための消費がうまれるのではないか?と思うのだが。ダメになったところだけを取り替える、あるいはグレイドUPのためにある部分だけを取り替える、そいう消費なら懐がそれほど痛まない。大事なのは1億総消費の時代にちょっとは戻さなければならないのだから!

kenhappy1 at 02:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0)経済 

2004年10月05日

時の流れ!

72c400b0.jpg51年が過ぎた。信長の時代なら余命幾ばくもなく、だろうが、現代ではまだまだ洟垂れ小僧、平均余命までは30数年残っている。とは言っても当事者は、あと30年か、と走馬灯のようなときの流れに押し流されそうである。
どうして歳を重ねるたびに時は早く流れるのか?マカ不思議だ!そんなことを誕生日に考えている。

過去は振り返るものであり
未来は進むべきものである

どんなに苦しいことも
どんなに楽しいことも
現在に留まることはない

好むと好まざるとにかかわらず
現在から未来へと流れて行く

この理があればこそ
人間は喜怒哀楽を享受して
生きて行ける

喜びも悲しみもやがて過去となり
心のスクリーンに映し見る
思い出となる

どんなに苦しいことも
確実に過去となる
現在の苦しみが支配する
時間(トキ)の流れに逆らわず
涙を加えて激流となせば
穏やかな過去が描かれる
そう信じて泣くがいい

どんなに楽しいことも
確実に過去となる
現在の楽しさが支配する
時間(トキ)の流れに逆らわず
喜びを加えてせせらぎとなせば
至福の過去が描かれる
そう信じて笑うがいい

kenhappy1 at 03:31|PermalinkComments(2)TrackBack(0)芸術 

2004年10月04日

君子は危うきに近寄らず!

d0625248.JPG高校時代、大学受験を真剣に考えたことがなかった。「どこかには入れるだろう、入れるところに入ればいいじゃないか」そんな感じだ。しかし、大学には行きたいとは思っていた。頭は悪くはないと自分では思っているが、勉強をしなかったので当然、成績は悪かった。勉強はしなかったが、その分、読書は人の何倍もしていたと思う。高校3年生も夏くらいになると、担任も「このままでは大学行けないぞ」と脅しをかけるようになる!(笑)かなりのスロースタートで、受験勉強なるものを始めるが、時期遅し、国立一期は無理との太鼓判を押されてしまった!(笑)それでも冬くらいには文科系で10番台まで成績は回復した。10番台といっても150人くらいの中である。たいした事はない。

「君子は危うきに近寄らず」と嘯いて、入れもしない大学受験は諦め、地元のそれなりには有名な大学(我が高校の受験希望の半分は、この地元大学に入る)と、関東の絶対に落ちない大学を受験し、無事合格した。浪人して国立一期を目指そうなどという気概はまったくなかった。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」はまったく頭になかったのだ。
高校まで地元から出たことがなかったことと、某大学の予備校のような我が高校である、そこに行けば高校の延長で、知った顔ばかりを見ることになり、少々ウンザリである。と言うわけで関東の大学に行くことにした。
大学の自由な雰囲気は良かった。授業に出る出ないは自由だが、ダメなら自分で責任を取らなければならないのも大学である。大学でも単位を取るための勉強はしたが、主にクラブ活動に専念した。グリークラブである。
1975年の録音で、音は聴くに耐えないが、私がソロを歌っている合唱曲がある。それをお聴きあれ!

多田武彦 組曲「雨」

4年間打ち込めるものがあっただけでも良しとしよう!(笑)

kenhappy1 at 16:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

My PCの変遷!

bbe6af33.jpgこれまでPCを何台使ってきただろうか?
最初に求めたのは、1984年2月、それまでやっていたアマチュア無線の機材を売って、NECのPC6601を買ったのが最初である。何か新しいことを始めるときには、何かを諦めなければならない。そんな年収の時代だった。
その後、8801、9801とグレイドアップして1995年の夏まで使っていた。当時のパソコンは、真っ暗なディスプレイに白いカーソルがピッカピッカしているだけのものだった。当然、BASICなどコンピューター言語を理解しないと独自には使えない時代だった。
1995年後半、PCの世界に大波が押し寄せた。
Windows95の登場である。

これまでのPCと何が違うか、それはGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)、ディスプレイのグラフィック(絵)を見ながら操作が可能になった、ということである。これまでのように真っ暗なディスプレイではなくなったのだ。
これを機に、これまでの98からWindows95が手に入るPCを買うことにした。それまでの98は値段がバカ高だった。最後の98は35万円もしたのだ。
値段もリーズナブルに変わってきた。
某メーカーのWindows3.x(この部分のバージョンを忘れた)がインストールされていて、Windows95アップグレイド付のDOS/V機(CPU100MHz、FSB100MHz)の当時としては最新機種を買った。
その後、CPUを166MHzのアクセラレータに変えたり、800MBしかなかったHDDにもう1台2GBを増設したり、メモリーを32MBにしたりと、2年くらいグレイドアップさせながら使っていたが、いよいよマザーボードを交換しないと性能アップが望めないところまできたので、秋葉原直結店からショップブランドカスタムPCを買った。
カスタムPCである、その後何年もCPUを変えたり、HDDを増設したり、ビデオカードを変えたり、メモリを増設したり、たまに筐体をかえたりと、何台使ったか?という表現ができない使い方、いわゆるカスタムして使ってきたのだ。
根っから何かを創り上げる(夢中になる)ことが好きなのかもしれない。
現在のスペックは、
★CPU=Intel Pen4 3.0C GHz(L2=512KB FSB=200MHz 220MHzにクロックアップして使用)
★メモリ=PC3200 512MB
★HDD=。奪疋薀ぅ屐瓧僑娃韮臓´■張疋薀ぅ屐瓧隠僑娃韮臓´Kドライブ(USB接続)=30GB ぃ魅疋薀ぅ屐複妝咤太楝魁法瓧隠僑娃韮臓々膩廝苅隠娃韮
★マザーボード=Intel 875Pチップセット
★グラフィック=nVIDIA Geforce FX5600 128MB
★サウンド=Roland SC−D70
★DVD/CD=DVD+-R/RW(+-R×8、RW×4、+R2層×2.4、リード×12)CD−R/RW(R×52、RW×24、リード×52)
★FDD=2MODE
★LAN=1000BASE−T(ギガビットLAN)
★ルーター=無線LANルーター(G54対応)
★I/O=USB2.0内蔵6ポート、USBハブ=2.0(6ポート)1.0(2ポート)、シリアル×1、パラレル×1
★TVキャプチャーカード内蔵
★接続周辺機器=.ぅ鵐ジェットプリンター ▲好ャナー CSチューナー ぅ好謄譽ミニコンポ ぃ横吋ぅ鵐腺圍

このようなスペックだ。
最近はCS映画専門チャンネルの映画をHDD録画、DVD化して楽しんでいる。
1984〜1995頃には想像もできなかったPCの進歩である。
それに比して、人間はさっぱり進歩しない動物らしい。
相変わらず「闘争、SEX」と爬虫類の脳=海馬=が幅を利かせている。困ったものだ。

kenhappy1 at 02:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0)PC 

2004年10月03日

特攻!

2294b897.jpg「戦艦大和」の探査から5年が経つ。
戦後派の人までなら誰もが知っていた「大和沖縄特攻」の悲劇。3000人が263mの巨大戦艦とともに海の藻屑と消えた。悲しい物語である。
詩に想いを込める。

「海のモニュメント」
東シナ海の深海に眠る
巨大な海のモニュメント

終戦から一桁の
戦後派の心を捉えるのに
模型で見る神秘の勇姿は
あまりにも美しかった

まだ日本海軍の象徴として
広く語り継がれた時代である

巨大戦艦大和
戦後派一桁なら
誰もが知っていた
その儚い運命

50年を超えて
今や伝説となったその物語が
現実のものとなった

映像が最後の断末魔を
白日の下にさらす

全長263mの船体は
真っ二つに折れ
艦尾から180mは
船体に大きな穴をあけ
ひっくり返って
腹を見せている

艦首から90mは45度に傾き
かろうじて原型を留めている

世界に二つとない
三つの主砲45Cm砲は
ひっくり返って海底に刺さっている

何と哀しい最後であろうか
不沈艦といわれた
海に浮かぶ巨大な要塞の
最後の姿である

敗色濃い昭和20年4月7日
戦艦大和は
国のために覚悟を決めた
15才の少年兵も含め
3000人の乗組員とともに
沖縄特攻という死の戦に赴いた
1000m上空に暗雲立つ
不吉な日であったという

やがて東シナ海において
死闘が演じられる
戦艦であるために
艦上機を持たない
大和の劣勢は明らかで
次から次へと
魚雷が船体に損傷与える

やがて浸水し船体が傾き
ひっくり返って
大爆発を起こし沈没する

この戦いに関わった敵の戦闘機は
1000機であったという

涙が溢れた
止めど無く涙が溢れた

ただ見れば鉄の残骸だが
そこには3000とおりの
切ない物語があると思うと
涙を止めることはできなかった

艦首の1.5mの菊の紋章
日本の象徴が白々しく見える

この3000人の物語を
今の日本人は忘れてはいまいか
決して過去の亡霊ではない
3000人の人柱を心の礎を
大切に受け留めて欲しい

kenhappy1 at 12:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月02日

不惑の歳!

2011800d.GIF「40歳にして惑わず」これは人生50年を前提にしている?そうである。そうなると、人生80年の現代の不惑は70歳ということになる?51歳になんなんとする自分は未だに惑いばかりで、まったくもって心もとない。
幼き日、大人といわれる人と接するとき、本当にかなりの大人に見えたものであるが、いざ自分が十分すぎる歳を重ねた今も、歳に自信が持てず、自分の思いとしては子供のままである。きっと幾つになってもこの思いは変わらないのだろう。現代の不惑70歳を迎えて、なお自分の歳に自身が持てないのか?できれば人生の達人になっていたいものである。無理に決まっているが!(笑)

精神的に大人か子供かは別にして、自分が肉体的な歳を感じたのは厄年である。何をするにも体が言うことを利かなくなってきたのだ。「おかしい、どうしたんだ、体が思うように動かない、こんなはずじゃない」これまで、感じたことのない体の反応が不安を増幅させる。何ら意識することなく、いとも簡単にできたことが簡単ではなくなってくる。これが老いというものなのか、と初めて歳を意識したのが厄年42歳であった。
何事もそうであるが、実際に経験してみないと、はっきりしたことはわからない。それは当たり前のことであるが、往々にして、たいしたことはなかろうと想像で判断してしまう。老いを感じてからは、人生の先輩に対して素直に思いやる心が湧いてくるようになった。
物事、経験してからでは遅すぎることの方が多いかもしれない。未経験は恥じることではないが、事にあたって、想像ではなく、賢者の意見に素直に耳を傾ける謙虚さがあるなら、未経験が経験となったときの不安は解消され、しっかりと未来を見据えることができるだろう。

kenhappy1 at 09:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)徒然なるままに 

2004年10月01日

振り返る歳の数!

4739c817.JPG40数年を振り返っても、まだ幼き日々は我が記憶にある。今が50代故のことである。40代では30数年、20代では10数年、当たり前のことである。
違っているのは当然のことながら生きた時代だ。
40数年前には殆どのハイテクはなかった。テレビ、ラジオ、あったのはそんなものである。家庭には電気冷蔵庫も電気洗濯機もない時代だった。

幼き日のありふれた1日。
カランコロン、カランコロンと団子売りが鐘を鳴らし、リヤカーを引いて売りにくる。
カーン、カーン、カーンと拍子木を叩きながら紙芝居が到来を告げる。
長閑そのものである。この優雅さを知らずに育った世代の上限は平均余命のほぼ半分の年齢、40代前半までである。
その年代は、町に自転車でやって来る紙芝居などきっと経験したことはない。
だからどうなのか?
幼き日の長閑な日々は、心の中に優しい憧憬ともいうべきフィールドを築き心の豊かさを齎す。それは芸術の発露を促すのだ。

カーンカーンカーンカーン
乾いた拍子木の音が
町内に響き渡る

5円玉を握り締めて
家々の小さな隙間に陣取った
紙芝居屋の自転車の前に来る

もう先客が何人か来ている
待ち遠しい時間とともに
10人程度のガキどもが集まった

何でできているかは判らない
パリパリとした
手のひらよりも大きな薄い煎餅に
とろろ昆布をサンドして
ソースをふったもの
赤紫蘇色の梅ペーストをサンドしたもの
そして水飴

思い思いの食べ物を
5円でいただく
ウキウキした瞬間

いよいよ紙芝居が始まる

今日は月光仮面
颯爽とバイクに跨った
白頭巾にサングラスの
ヒーローが悪を小気味良く
叩いて行く様を
声高らかに
迫力あるダミ声が導いて行く

思わず引き込まれ身を乗り出す
純な幼さが懐かしい

娯楽の少ない時代に
紙芝居はシアターだった

拍子木の音はもう聞こえない
しかし
思い出の拍子木は
心の中で
いつまでも止むことはない

kenhappy1 at 02:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)郷愁 

2004年09月30日

自然が消えて行く!

3a02d1b8.jpgプロフィールの趣味に書かなかったが、釣りも大変好きである。行きたくなったときには1人でも泊りがけで出掛けたものだ。
私の釣りの原点は父とのハゼ釣りである。幼き日の長閑な情景として心に焼き付いている。
幼き頃の住まいから、そう遠くないところに海があり、干潟があった。干潮時は完全に海水が引いてしまい、カニやゴカイなどが蠢いていた。その子ガニやゴカイを捕ってハゼ釣りの餌とした。

引き潮から満ち潮に動くときが釣り時となる。陸地となっていた干潟が時間とともに海水に満たされて行く。
3本繋ぎの2間半の竹ざおにテグスと錘、ハリスを付けただけのシンプルな仕掛けである。それに干潟で捕ったゴカイや子ガニを付けて底釣りする。グググゥといっきに竿を絞る手ごたえ。堪らない感触である。力任せに竿を上げると20Cmくらいのダボハゼが勢いよくあがってくる。
40年以上前、遠い日の幼き夢の情景である。
今はと言えば・・・・!夢の干潟はもう影も形もない。
外海から数百メーターしか離れていない、古の干潟には、新興住宅が甍を並べている。私には奇異に思えてならない。いくら狭い日本とはいえ、地盤の弱い干潟を埋め立てて家を作ることはあるまいに!寄せては返す波のように、干満の潮の織り成す造形美をいつまでも愛で、そしてそこに遊べるなら今生の幸せである。時として人間はどうしようもない過ちを経済効果のもとに正当化し実行してしまう。恐ろしいことである。
40年前の幼き夢の情景は2度と帰らない!
「バカヤロウ..........!」

kenhappy1 at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)郷愁 

2004年09月29日

双子のパラドックス!

f6f884f7.jpg双子のパラドックスという言葉を聞いたことがあるだろうか?もし光と同じ速度で宇宙を旅することができたなら?誰もが一度は夢として思うことかもしれない。しかし、現実の世界として、もし光速で本当に旅することができたなら、大変なことになる。

時間のローレンツ収縮というのだが、もし、ここに双子がいて、その一人だけが光速の宇宙船に乗って壮大な宇宙の旅に出たとしよう。25年もすれば銀河系の中心部まで行くことができる。実際は、中心部までの半分の距離で減速を開始しないと中心部て停止することはできない。この場合は、ただ通過することになる。仮に往復50年で地球に帰ってきたとしよう。その時は地球で待っているはずの双子の兄弟の一人は、この世にいないし、地球があるかどうかも定かではない。たった50年が地球の時間では途方もない時間が経過している。何年が経過した、ということまで計算で出すことができる。これはSFでも夢物語でもない。学問的に立証されていることである。その根本にはアインシュタインの相対性理論がある。もっとも現在、光速で動くことのできるものはないし、光速を超えることもできない。そういう意味では夢物語かもしれない。
人間が作り出したもので最も速く動き続けているのはボイジャー宇宙船である。現在は太陽系の外に出ようとしている。木星の衛星イオの火山を発見したり、外惑星には総じて環があることを発見したりとその功績は大である。秒速30Kmで広大な宇宙を現在も旅している。
双子のパラドックスの光速宇宙船に乗る片割れは、夢の世界の若さ溢れる自分で、それを客観的に見ている、もう一人の自分は、それを欲する歳老いた現実の自分である。


kenhappy1 at 19:05|PermalinkComments(1)TrackBack(0)コスモス 

2004年09月28日

技術革新!

パソコン関連製品以外は、あまり物を買っていないが、最近これまで使用していたステレオコンポ、シェイバーがどちらも15年くらい使っていてガタがきたので買い替えた。15年前の製品に比べて、技術革新の素晴らしさには驚く。シェイバーの剃り味はあくまでも優しく、それでいて切れ味は鋭く、手入れは水洗いでいとも簡単ときています。剃るときのタッチがまったく違うのです。機関車

ステレオはミニコンポ、小さく凝縮されてはいますが音は凝縮されてはおらず音質は落ちていません。
メーカーの努力が目に見えます。
当たり前といえば当たり前のことかもしれません。15年を経ていて、前と同じならとっくに倒産していることでしょう!
車も最近替えました。2500ccの大型車に乗っていたのですが、絶対値では約半分の動力性能の小型車に替えたのです。しかし、半分の能力と感じたことは1度もありません。2000ccにもまけない加速力です。CVTという無段変速機が開発されて、どの速度域からでも加速がききます。乗り味がこれまでの車の概念とはまったく違うのです。
技術革新の凄さには驚かされます。
さて、私はこの15年でどれだけの変革ができたのか?
とてもとても電化製品や自動車には適わないな!と思います!(笑)人間を変革するということは並大抵のことではダメですね。そこには物にはないプライドがあるからです。それが邪魔して変革を素直に受け入れられない悲しさを持っています。この自我と共存して何とか生きて行かなければなりません。難儀なことです!

kenhappy1 at 18:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)社長 

図書館!

79e612cc.jpgたまにではあるが、県図書館に行く。車で15分程度のところにあるのだ。レストラン付の大変大きな、また環境の良い、きれいな建物である。1階はビデオ、CD、レコードが置いてあり、それらを鑑賞できる機材完備の完全に閉じてはいないが2人掛けのボックスが並んでいる。そのボックスにいつも目をやるのだが、殆どがシニアの方々である。

デイサービス紛いになるが、図書館が本来の目的以外に貢献しているように見えて、何となく面白い現象に思える。この方々の安らかな居場所がきっと家にはないのだろうな、と想像してしまうのである。積極的に邪魔にしているわけではないと思うが、シニアの方が、きっと気を使って家を空け、この図書館で時間をつぶしているように思えてならないのだ。
冷暖房完備、水も飲めるし、食事はレストランを使えば、閉館までいても困らない。置いてあるビデオやCDは、シニアが懐かしく見たり聴いたりできる、例えば一昔前の時代劇であったり、美空ひばりのCDであったりするのだ。高齢化社会が図書館にも反映している。
因みにCD、レコードで一番多いのはクラシックである。
私は、クラシックのCDを借りてくる。2枚まで3週間は借りられる。本は5冊までである。クラシックは殆どそろっている。これはありがたいことだ。10代からクラシックが好きで、18歳くらいまで小遣いを貯めてレコードを買ったものである。かなりの枚数を持っているが、当時このような図書館とパソコンがあったなら、レコードを買うことなど必要なかったのに!(笑)今の若者は恵まれているなぁ、と本当はしてはいけないことを前提にして思った。
何のことはない、CD−Rに焼けば良いのである。あくまで自分が楽しむためのものであるとの条件がつく。
今のCDではないので、コピー防止機能は皆無である。いわば録り放題ということになる。
現在のパソコンはストレージ、大容量時代である。私の自宅のパソコンには4台合計400GBのハードディスクがある。ドライブはDVD+-R、RW、+R2層書込み対応、+-R×8倍速である。2時間の映画をDVDメディアに焼くのに7分程度である。某衛星放送の映画専門チャンネルを契約しているので、映画は毎日見ることができるし、ハードディスク録画してDVD化も容易である。たちまち個人のDVD映画コレクションができてしまう。DVDメディアは、通常の量販店で買うとまだまだ高く、4倍速(2時間の映画を焼くのに15分くらいかかる)10枚セットで1500〜2000円くらいである。2層対応(4時間の映画を焼ける)は1枚で1300円以上する。しかし、秋葉原直結店で買うと8倍速対応で相場によるが、1枚60〜90円で買えるのである。使用したが品質はまったく問題なかった。
このメディアを使って、映画をDVD化している。
今日はリサイクルショップに行ってみた。DVDも売っていた。私がDVD化したものが結構あったが、2000円から3000円だった。
CDにしろDVDにしろ、アーティストは大変だな、とつくづく思った。この思いは自分がやっていることと矛盾する。どうかお許しを!!

kenhappy1 at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芸術 

2004年09月26日

歌声喫茶 & カラオケ

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カラオケで初めて歌ったのはいつのことだろう。社会人になって1年後くらいだったと思う。昭和52年頃か?当然、今のような通信カラオケではない。テープである。出現してすぐに爆発的に流行り始めた。私の社会人最初の赴任地は北の盛岡で、当時の夜の酒場では、毎日カラオケ大会が行われていた。社会人になりたてであったが、よく歌いに(飲みに)行った。大会に参加し、入選すると必ずボトルが賞品としてついていたからである。あっちの店、こっちの店とボトルを調達し、低予算で飲むことがしばしばだった。18番は「積木の部屋」である。確か1970年の布施明の楽曲である。流行った頃は、まだ私は高校生であったが社会人になってから歌うようになった。布施の曲は好きである。音域が私に合っている。「霧の摩周湖」「恋」「シクラメンのかおり」等々。
当然、カラオケの普及とともに「歌声喫茶」や「ライブハウス」は廃れて行く。「歌声喫茶」には、ひどく通った。

「歌声喫茶」この懐かしい響きの4文字熟語を皆さんはご存知だろうか?カラオケがまだ世にでていない昭和45年から50年頃まで隆盛を極めた、正に歌を歌うための喫茶店(夜は酒も飲めたのでスナックに近いか?)である。生のアコーディオンにリズムボックスが「歌声喫茶」のシンボルで伴奏手段である。そこで歌われる歌は流行歌ではない。ロシア民謡であり、反戦歌であり、地域に密着した歌であり、また永く歌い継がれてきた歌である。フォークソングもレパートリーとなり得た。私が「歌声喫茶」に通い始めたのは、高校3年生の時である。当時、小椋佳の精神世界に深く傾倒していた私の18番は、「潮騒の詩」や「さらば青春」等の小椋佳メドレーであった。勿論「ロシア民謡」や「シャンソン」も歌ったし、「琵琶湖周航の唄」や「知床旅情」もまだ流行る前からよく歌っていた。
仙台の有名な「歌声喫茶」は「若人」と言った。「青葉城恋歌」でみなさんご存知の「さとう宗幸」が歌声のリーダーをしていた。
東京には、新宿に「ともしび」が、京都には、四条に「炎」があった。学生時代にギターを持って「歌声喫茶」巡りをしたことがある。オリジナルソングを歌わせていただいた。もう30年以上前の話である。今もネットから詩をいただいて作曲をするが、この当時の感性をそのまま持ち続けている。化石みたいなもので良いのか悪いのか私には分からない。

kenhappy1 at 02:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0)芸術 

2004年09月25日

似て非なるもの、呪縛、洗脳?

1a52c6eb.jpg似て非なるものに頭を悩ましている。
悩ましているというよりも腹を立てていると言った方がよいかもしれない。
それも2年連続である。
他人に言えば、そんなことで腹を立ててるの、と斬って捨てられそうで、まだ誰にもこの思いは話してはいない。
昨年は、1600年の関が原の戦いが終わったばかりの動乱の世の剣豪の物語、今年は江戸末期、幕末から明治にかけての動乱の世に命を燃やした下級武士集団の物語についての考察である。

NHK大河ドラマの話である。
「小説と映画」でも述べたが、原作を読み知ってから見る映像に物足りなさを感じるのはいたし方ないとしても、昨年と今年の「宮本武蔵・新撰組」を見て思うことは、原作と「似て非なるもの」ならまだ許せるが、私にはまったく別物に思えてならないのだ。
どちらの原作にも、尊厳とも言うべき際立った人格があり、一途な武士道が尊厳に重さを加重している。「宮本武蔵」は原作と「似て非なるもの」、「小説と映画」で述べた違いで良いかも知れない。しかし、とても見る気にはなれなかった。一言でいうなら重さがなく軽いのだ。あらすじはかなり違っていたが、それだけのことで腹は立たない。
「新撰組」に至っては、まったくもって軽いのである。動乱の世の命をかけて意思を貫こうとする顔ではないのだ。どう見ても今のこの世の平和ボケした10代、20代と変わらない安穏とした顔が溢れている。(今のそういう若者が悪いと言っているのではありません。悪しからず)それは現代の若者が配役を演じているからではない。良く解釈するなら、これまでの原作そのものの既成概念を打ち破ろうとする製作者の意図を感じるのだ。それが不快感を増幅させている。
なぜなら、しっかりと加重された尊厳の基の際立った人格が物語を決定していると信じているからだ。
宮本武蔵も近藤勇も土方歳三も沖田総司も原作とはまったく違う人物である。
しかし、である。これこそが呪縛や洗脳そのもであったなら、製作者の意図は歓迎すべきことかもしれないと、おかしなことを思い始めた。そこに頭を悩まし、腹を立てる真の原因があるのだろう?実際にその時代をこの目で見、肌で感じたわけではなく、実際はどうであったのかはわからないのだから。
原作者はきっちりとした取材を基に原作を書いたに相違ない。それはすんなりと私の心を捉えて離さない魅力がある。私のというより、日本人のと置き換えてもよいのではないか?「宮本武蔵も新撰組」もこれまで幾度となく映像化されており、それらは原作に添う人格を与えられしっかりと加重された主人公が生きていた。それは原作とは違和感なく、見ていて心地よいのである。
結局は、自分の意に沿わないのなら、単純に見なければよいのだ。ただそれだけのことだ。
意に沿わないときに、製作者の意図など考える必要などない。
自由な発想があっていい。

「見ないぞ、決して見ないぞ、そんなもの!」

kenhappy1 at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芸術 

2004年09月24日

果て!

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果てとはどういうものなのだろう!
誰もが一度は思うことではなかろうか。
見ることができるものなのか?
見ることができないから果てなのか?
単なる想像が生み出した幻想なのか?
理解できているようでわからない、無限と同じような不思議な概念である。
そんな思いを「詩」に現してみた。
ご覧あれ!

果てを見てみたい

宇宙の果て
心の果て

そもそも果てとは想念にすぎない

地球儀の上を歩くように
宇宙には果てなどない
中心も果ても
特別な場所など
一切ない世界である

有限の宇宙にあって
無限の広がりを感じさせるほど
宇宙とは計り知れない存在である
その次元に捕らえられている限り
果てを見ることはできない

心に果てはあるのか
心は生あるものの証であり
生が有限である以上
果ては存在する

しかし見ることはできない
果ては死に他ならず
自分の心の果てを
朽ち果てた屍として
第三者が見ている

物事の深淵は
見るものではなく
想うものである
想いに果てなどなく
それを超えて
深淵に落ちることなど
あり得ない

恐れず果てを追求し
果ての淵に立って
深みを覗くがいい

ロマン溢れる宇宙も
想い溢れる心も

すべて自分自信の
想念が創造した
掌の世界であることに
驚くだろう


kenhappy1 at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コスモス 

何年経ってもオリジナル!

419ebf15.jpg何年経ってもオリジナルソングを聴くとα波で満たされる。
自分で創った曲なので、ごく自然なことである。
38年前になる。その頃、人気絶頂の若大将=加山雄三=に憧れていたが、私のシンガーソングライターの手本は彼である。その頃は「自作自演」でシンガーソングライターなるハイカラな言い方はなかった。

ネットで30曲くらい私のオリジナルソングを聴くことができる。
インディーズのために、無料で無制限のデータ領域を貸してくれるサイトが複数あるのだ。私のような者には大変有難いことである。30曲で150MBくらいにはなっていると思う。ファイル形式はMP3である。WAVEファイルの1/10くらいの容量で、それほど音質を落とさずにデータ化できる。それでも1分1MBくらいはかかる勘定だ。
お暇な方がおられたら聴いてみていただきたい!(笑)

オリジナルソング

最近は、我が家では音出しご法度になっている。近所迷惑になるので止めてくれ、との家内のたっての要望なので仕方ない、すべてはヘッドホンで済む機材で作曲をしているので、生の楽器を弾くことは殆どなくなってしまった。もはやギターも弾けないのではないかと、かなり心配している。50曲くらいある中の8割くらいはギターで作曲している。御茶ノ水から神保町に行く途中の楽器店で、12,000円で買ったギターで、今も現役(押入れに入ったまま)である。現在はDTM、コンピューターミュージックで作曲する。入力は楽譜、音符である。
最近は音符入力などする人は少なくなったのではないか?と思う。携帯できるデジタルレコーダーが安く買えるので、良いフレーズが浮かんだら時間と場所に関係なく録音しておけば良いのである。そういう意味で、誰もが作曲できる時代でもあるのだ。
昔はそんなものはないので、楽譜に残しておかないと、忘れてしまい再現ができないことになる。私は楽譜が書けたから、何年経っても作曲した当時のままで再現ができるのである。しかし原則は楽譜など書けなくとも良いのだ。重要なのは感性なのだから。
80分のCD−R2枚に40曲くらい焼いてある。
それを1ヶ月に1回くらいじっくり聴いてα波で満たすのである。
自己満足以外の何物でもないが!


kenhappy1 at 03:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)オリジナルソング 

2004 Sept.23 AM 2:00 愛犬happy ここに永眠! 9/23

c0780c56.jpg17年前、子供のいない我々夫婦は雄のビーグルを家族の一員とした。ron(ロン)と名付けた。とても凛々しいクロ、シロとタンの代表的なビーグルの毛色だった。1ヶ月も経たないうちに1匹では可哀想と雌のビーグルを求めにronを生み出した同じブリーダーを訪ねた。売れ残りが1匹だけあるとのこと。なるほど、ずんぐりとしており、ずしっと重く色は尻尾の先がシロを除けばほとんどクロに近かった。ブスだが私には愛らしく見えた。さっそく頂いて来る。happy(ハピー)と名付けた。

最初はゲージに入れておいたが、一緒にいれたダンボールの上に乗っかってすぐに脱走してしまう。快活な子だった。数週間、脱走犬の面倒をみるために私が同じ部屋に寝る嵌めになった。
ronは2ヶ月年上で、幼犬の2ヶ月違いは差が大きい。体も倍違っていた。
happyの快活さは半端ではない。ronが階段を上れないでいるときに、スイスイと上ってしまう。ronは階段の下で恨めしそうによく眺めていた。
6ヶ月が過ぎたころには、もう2匹とも大人の体形である。
今住んでいる団地ができたばかりの頃である。春には山菜が豊富に採れた山間の団地で、犬の運動会には事欠かなかった。曲がりなりにも猟犬である。野っパラを垂れ耳をはためかせて駆け巡り、獲物を追いかける。遠くで見ていると獲物を追い詰め、獲物は垂直の木に3メーターほど登った。よっぽど追い詰められたのだろう。近寄ってみると、それは猫だった。ドジな猟犬である。
よく家内とron、happyとで「かくれんぼ」をしたものである。リードなしで自由に飛び跳ねていたころである。2匹が好きに飛び跳ねているときに、こちらは物陰に実を潜める。そうすると、どこ行ったと一生懸命に探すのである。人間の何万倍の嗅覚の持ち主である。すぐに見つかってしまうのだが、楽しいひと時だった。
ronとhappyは夫婦であるが、対等ではない。happyは女王様で、ronはじっと我慢のお目付け役みたいな関係だった。外で怪しげな動きがあるようなときは、まずronが真っ先に番犬の勤めを果たすかのよう庭に飛び出して行く。happyはronが安全を確認してから後ろからついて行くのである。happyはちゃっかり者である。何をするにもronはhappyの後である。おやつをいただくのも我々の愛情を受けるのも、じっとhappyの後ろで我慢して待っていた。ronは決して弱くはないのだが、happy
には寛容だった。
ronは我々といるときでもプライドを捨てきれず我を主張するところがあった。happyはちゃっかり者、可愛がられ方を知っているのである。
ronは我々が出かけ留守番をするときは2階のバルコニーから、何時間でも我々の帰りを待っている犬だった。happyはronがいるので我関せずと寝て待つような、面白い犬だった。
それでいて、我々が帰ってくると真っ先に出迎えるのがhappyである。何かにつけ要領が良いのである。
ronは12歳で、この世を去った。最後までhappyの後ろで我慢している意地らしい犬だったが、他の犬に対しては威厳があり、こちらから吼えることなど一度もなかった。
ronが亡くなってhappyは伴侶を失い、すっかり心身症になってしまった。
暗いところへ行きたがり、そこにごろっと横たわったまま動かなくなってしまう。そんなことがしばらく続いた。
もうダメかとも思った。しかし日数が解決してくれた。犬も人間も同じことである。
happyはronの死後、すっかり甘えん坊の犬になってしまった。これまでは我々がいなくともronがいたので、安心して寝て待てたのが、悲しく鳴いて留守番ができなくなってしまった。それ以来、私か家内のどちらかが家にいることになった。手間のかかる犬になってしまったのだ。もともと1匹で育てたら、このような犬だったのかもしれない。
ronの子供も13匹産んだ。犬舎号は「kenhappy」である。13匹の子供には血統書にすべて「kenhappy」がついている。「ken of kenhappy」のように。通常は産まれた順番にAから名付けなければならないのだが、皮肉れものの私はKから名付けたのである。2度目はJから名付けた。それでも問題はおきなかった。
happyは17年頑張った。何も言うことはない。ただただこれまで有り難う、である。前にも書いたが、我々夫婦の諍いの種をいくつ食べてくれたかわからない。子は鎹、犬も鎹である。
ronのお骨は家にある。やっとhappyと一緒になれる。懇ろに葬ってやりたい。
ronとhappyから学んだことは、人間のもっている心のすべてを犬ももっているということである。そして老いること。人間の縮図を見たのである。
自分がどうなるか、それをまざまざと知ったということである。
家内の懐で看取られたhappyは幸せである。我々夫婦を看取る人間は間違いなく他人となる。
それで良いのだが、いつの日か寝て目覚めなかった、というのが望みである。

kenhappy1 at 00:48|PermalinkComments(4)TrackBack(0)愛犬happy 

宇宙のロマン 9/22

6d9d48de.jpg1996年の12月にアメリカコーネル大学の天文学者カールセーガン博士が亡くなった。とても残念だった。幼い頃から、私は天文が好きだったが、カールセーガン博士の「コスモス」を読んで、いっそう天文学に興味を持ち、またますます好きになった。今でも、宇宙を再認識したい時には、このコスモスを寝る前に読む。そうすると心が落ち着くのである。「コスモス」は1978年だったと思うが、カールセーガン博士自らの出演で、テレビシリーズとして放映された。きっと覚えておられる方もいることだろう。今日は、その「コスモス」の中から、ドレイクの方程式というのをご紹介しよう。
皆さんは、この宇宙に我々人間と同じ知的生物のすむ惑星がいくつあるだろうか?と考えたことはないだろうか。そう考えることはごく自然なことであり、宇宙へのロマンを増幅させる。

知的生物の文明社会の数がいくつあるか?という数「N」は、おおまかに推定することができる。それぞれの因子を考えてみよう。
N*=銀河系のなかの恒星の数、fp=惑星系を持つ恒星の割合、ne=ある特定の惑星系の中で生物の存在し得る生態学的環境を持つ惑星の割合、fl=適当な環境を持つ惑星の中で実際に生物が誕生した惑星の割合、fi=生物の住む惑星の中で知的生物のいる惑星の割合、fc=知的生物の住んでいる惑星の中で、通信技術を持つ文明人のいる惑星の割合、fL=その惑星の寿命のなかで技術的文明人の存在する期間の割合、これらをまとめると、N=N*×fp×ne×fl×fi×fc×fLとなる。このうち「f」はすべて0〜1の間の少数で、N*の大きな数を減らして行く。できるだけ否定的な要素を集め、消去法で消して行く!詳細な分析は多義にわたっており、ここで説明することは無理であるが、それぞれの因子の説明は大変興味深い!結局否定的要素を集めて式にあてはめると、最後には我々と同じような文明を有し、いま現在存在する惑星は10個はあるだろう。と結論付けられる。それはごく自然なことで、この宇宙の中で、地球だけが特別な存在でありえるはずはないのだから!このことについて詳しくお知りになりたい方は、朝日新聞社発行の「コスモス」上下巻をお読みいただきたい!「ザ・ギャラクシー=我々の銀河系」の中に10個も我々と同じような文明を持つ惑星がある、と思うだけでも魅力あることである。「ザ」を取り去ったただの「ギャラクシー」は我々太陽系の属する銀河系外の銀河(例えばアンドロメダ銀河)をいう。正に宇宙は広大である。


kenhappy1 at 00:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コスモス 

小説と映画 9/22

皆さんは、原作を本で読んでから、その映画なりテレビを見たことがきっとあるでしょう。どうでしょうか、その内容に満足できましたか?
私は何本かそのような映画を見ていますが満足できたことは一度もないのです。原作が素晴らしく、映画が劣るというようなことではないのです。
読んだ文章には10人十色の想像力が働いています。原作の中に10人十色の物語があるということを意味します。それに対して映像は直接的であり、ひとつの物語が厳然として存在しています。そういう意味で映画は小説を超えることはできないと私は思っています。原作に対して映画は物足りなさを感じてしまう。特性上、仕方のないことです。
そんなことを題材に「詩」を書いてみましたのでご紹介します!
hana

小説と映画は
どこがどう違うのだろうか

小説は間接的であり
映画は直接的である

映画は目で見てストレートに感じているが
小説は読んで想像力で感じている

原作を知らずして見る映画は
感動そのものであるが
原作を既に読み知っている映画には
言い知れぬ物足りなさを感じてしまう
それだけ小説には
逞しい想像力が働いている

人間の想像力は無限である
故に一人一人が描く想像の世界は
10人十色であり
読手の数だけの
想像で膨らんだ物語があるのだ
そういう意味で
映画は小説を超えることはできない

極端な言い方をすれば
映画には一つのはっきりとした物語しかないのだ

映像とは想像力を奪ってしまうほど強烈なものである
それだけ作品の善し悪しがストレートに出てしまう
製作者にとってはきっとそれが大変な恐怖なのだ

小説も映画も
人間に感動を与える芸術であり
もとより優劣があるわけではない

いずれも人間が創り出した
心の叫びである


kenhappy1 at 00:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芸術 

命幾ばくもなく 9/21

ea5eaa7a.JPG我が家には17歳のおばあちゃん犬、happy(ハピー)がいる。前の記事に付けた写真で抱いているのは12歳で亡くなったhappyの連れ添いron(ロン)である。5年近く長生きをしているが、もはや命は幾ばくもない。右の頚部に人間の拳よりも大きな腫瘍ができていて、食べることができない状態になっているからだ。
不安なのだろう、家内の側を片時も離れずにいる。


17年も一緒にいるので可愛いのは当たり前なのだが、体が動かない状態になっても自分の務めを果たそうと必死になる姿に涙が流れてしまう。私と家内の諍いの種を食べるのが彼女の仕事である。私が家内と話をするときは、必ず私の体に尻をあて、家内に顔を向けて「喧嘩」はするなよと、尻と目で言うのである。これまでいくつの種を食べてくれたか知れない。憎めない可愛いやつなのだ。
これまで何度か病気もし、命の危機もあったが、乗り越えてきた。
しかし、今度だけはもう諦めざるを得ない。とても悲しいことである。
ただ安らかに逝ってくれと祈るばかりだ。12キロあった体重も今や5キロまで落ち、骨と皮になりつつある。
立つ歩くがしんどく、立ってもすぐ倒れてしまう。水を飲んでは吐くを繰り返している状態である。食べ物はもう口にはできない。
歳をとるということは大変なことである。このhappyを見れば、自分の20年後、30年後が見えてくる。人間の縮図そのものである。
そのとき自分はどう生きるのか?
それはそう遠くない未来である。

kenhappy1 at 00:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)愛犬happy 

PCでオールナイト、映画を2本見た 9/20

dafe0fa6.jpg昨夜は未明から映画を2本見た。
PCでのオールナイトである。
PCビデオカードSビデオ端子接続のCSチューナー経由での某衛星放送映画専門チャンネルである。それを更にPC内蔵のTVキャプチャーカード経由でHDD録画、その後DVD作成と、今流行のストレージ、大容量化PCの最近の代表的な使い方である。
見たのは、ジェニファー・ロペスの「メイド・イン・マンハッタン」「イナフ」である。対照的な映画だが彼女の魅力満載の2本だ。

もう何年も映画館に足を運んでの鑑賞はしていない。大画面は望めないが、PCでの独り鑑賞も乙なものである。ディスプレイが17インチ液晶なのを除けば、映像も音響も一流であり、他人を気にすることなく没頭できる良さがある。音源はPC接続のDTM用のRoland SC−D70、それをPC接続のオンキョーのミニコンからOUTPUTしている。惜しむらくはスピーカーから音が聴けないことである。昨今の団地は音だしご法度、聞こえてくるのは幼い子供の喧騒だけである。という訳でヘッドホンでの鑑賞となる。ここのところ毎日1本は映画を見ている勘定だ。それをすべてDVD化していて、個人で楽しむための映画コレクションが出来上がってしまう。HDD録音用のHDDの容量は160GBあるが、20本も録画すればはや容量が赤信号。録画ファイルを溜めておくことは儘ならない。それでも、仕事がパソコン教育関連なので、ハードは強力化していて、HDDは4台400GBの容量があるので、まだ大丈夫ではあるのだが!
この映画の感想は後に譲るとして、最近見た映画の感想を2本分、詩風にまとめたのでご紹介しておきます。

映画を見た

愛も自然も
憎しみもアクシヨンも

スクリーンと私の間に
虚像と実像の
確たる隔たりをもった
世界が見える

しかし
どうして感動し涙するのか
現実とはかけ離れているはずなのに
身近で起こったことのように
全身が反応してしまう

夕焼けに覆い尽くされた
大海原を翔けるヨットに

その中で激しく求める
男と女に

やがて別れる切なさに

自分には
絶対に当て嵌まらない
情景を見つつ

虚像と認めて
尚且つ全身の震えを
禁じ得ないこの感動は何だ

人間は誰しも
侭にならない世界があり
努力の上に生きている

努力を超えた
夢を見たとき
現実を忘れ感動がある

超えられない
現実の向こうにある
生きている夢の証を
映画に見ている


ちょっと切ない映画を見た
愛し合う者たちが運命により引き裂かれる物語である

彼は飛行機事故により海に墜落
命からがら無人島に漂着した
彼女からもらった写真入の懐中時計
その写真を毎日眺めながら
彼女に会いたさ故に必死に生きた

孤独は恐ろしく人間を疲弊させる
一緒に漂着したバレーボールに
自分の血で顔を描き
ウイルソンと名付け友とした
毎日彼に語りかけることで孤独を癒した
何度も失敗しながら摩擦熱で火を得た
早4年もの歳月が過ぎた

島の周りには大波が発生し
ちゃちなゴムボートでは沖に出ることはできない
ある日のこと帆に使えそうな壊れた部材が漂着する
苦労し脱出用の筏を作った

風が出る季節を待ち
大波を克服し意気揚々と航海に出た
容赦なく嵐が襲う
ウイルソンが流される
助けようにも無理である
彼の名を何度も叫び
バレーボールに親友を失ったようにさめざめと泣いた

出発地点から500マイル流され
やっと貨物船に拾われた

愛しい人はどうしているだろう
身なりを整え風貌は4年前と同じになった
友人が生還を祝う宴を催し
彼女との再開のお膳立てを整えた
しかし彼の前に現れたのは
以前に彼の歯を治療した歯科医だった
「彼女は混乱している」
「君の葬式もし墓もあるのだ」
「その君が突然蘇ったのだから」
「彼女は今私の妻なのだ」
彼は呆然と立ち尽くすだけだった
しかし恨む気持ちなどさらさらない
深く彼女を愛しているだけだ

彼は懐中時計を握り締め
雨の夜半に車を彼女のもとへ走らせた
彼女は車の音を聞きつけ
彼が扉を開ける前に部屋に招き入れる

「壊れてしまったがこの懐中時計を返しにきた」
「あなたにあげたものよ」
「君のおじいさんのものをいただいたのだから君が持つべだ」
「そんなこと気にしなくていいのよ」
女の子の写真を見ながらつぶやく
「可愛い子供だね一人じゃなくもっと産むべきだよ」
「家のローンが大変でまだ無理よ それより見せたいものがあるは」
ガレージに行く
そこには墜落する飛行機に乗るために空港まで送った
二人の車があった
「あなたの車よ 忘れられない二人の思い出が一杯詰まっているわ」
「乗って帰ってもいいのかい 乗ってきたタクシーはもう行ってしまったし」
「ええいいわ キーよ」
彼は雨の中 車をガレージから走らせた

視界から消え去ろうとするとき
彼女は何度も何度も彼の名を叫び
走って車を追いかける
彼が気づき車を止める
強く抱き合いキスをする
「誰よりも愛しているよ」
彼が言う
「私もよ」
彼女が応える
彼は彼女を車に乗せて言う
「家に帰りなさい」
彼女は頷いた

儘にならない悲しさはあっても
深い愛が脈々と流れていた
肉体を超えた永久の愛である



kenhappy1 at 00:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芸術